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授業の奥義を知る人

2009年01月25日 | 読書
 火曜日に取り上げた本と順番が逆になったのだが、『授業深耕への架橋 続・授業深耕への架橋』(竹内栄治郎・千葉信一郎著 秋田県教育振興会)を読み始めている。

 前半の竹内氏が執筆した部分を読み終え、ああこれは書きとめておきたいと思ういくつかのことがあった。
 およそ90ぺ―ジほどの論考は昭和60~61年頃のものと予想される。大正末期に付属小訓導として教師人生をスタートさせた竹内氏の、授業に寄せる熱い思いに裏打ちされた文章だった。二十数年を経た今であっても十分に納得のいく部分が多くある。

 例えば、「学習意欲のわく根源」について言及し、そのための測定をするべきだと六つの項目を挙げて紹介している。題材の興味や内容理解だけでなく、学級への所属感も重要視されていることに納得がいった。

 「実感主義の持つ限界」という章も考えさせられた。
 子どもの持つ実感が全て正しい、そのまま受け止めようなどという誤った姿勢を私たちは持っていないだろうか。対応の技術は大切だが、基本は次のようなことだと改めて思う。

 実感を重んじながら、ひとりだけの生活体験から出てくる実感を、もっと幅の広いものにするという方法。自我の構造を中軸として実感の相互関連をはかっていく方法。
 
 圧巻だったのは、論考の終盤。
 ある小学校の1年生の算数に臨時に1時間だけ補充として入ったときの記録である。算数の「基数+基数=11以上の数」という教材において、計算式の問題作りをやらせ子どもたちに発表させ、検討させ、発展させていく過程である。
 現時点であれば、いわゆる穴あきの計算、多答型の課題と済ますことができる。
 しかし、その授業が昭和20年12月半ばであるという事実は、私にとっては大きな驚きであった。
 授業を受けた子どもたちは、家へ帰っても計算式を多く見つけようと帳面を開いたという。

 授業の奥義を知る人、偉大なる先達からはまだまだ学ぶことがある。