百醜千拙草

何とかやっています

普通の国へとダウングレード

2016-07-12 | Weblog
先週から、知り合いのお嬢さんの女子高生が研究室に来ています。
将来、医学部に進みたいので、基礎医学研究の現場を見たいということで、数週間の予定ですが、大変です。これまでも比較的研究経験の浅い人をトレーニングしてやってきましたので、慣れてはいるのですが、やはり女子高生となるとモチベーションも実地の知識も違いますので。幸い、ありがたいことに、共同研究している人が面倒を見てくれています。

長年、研究室に出入りしている人を見ていると、モチベーションも大切と思いますが、実験のセンスというものも大切だな、と思います。1を聞いて少なくとも1.5ぐらいを理解するぐらいでなければ辛いです。インプットとアウトプットが同じでは、バイオリアクターとして働いていないと言えます。過去一緒に働いてくれたポスドクや技術員の人のうち二人は、インプットの増幅率十倍ぐらいの優秀な人でした。そういう人はあまりいません。十人に一、二人ぐらいです。

しかし、センスや才能と研究キャリアはあまり関係ないようにも思います。長年、研究現場に残っている人の多くは、粘り強く、研究で生き残れると信じている人が残っているように思います。頭の切れすぎる人や地味仕事を続けることが苦手な人は、さっさと見切りをつけて、別の分野に行きますね。
これは、多分、どの世界でも同じでしょう。駆け出しの頃は、誰もが苦労するので、そこを諦めずに粘っていると活路が開けてきて、続けていくことができるようになるのだと思います。石の上にも3年です。9割の普通の研究者の人はこのパターンでしょう。

残りの少数派の大成功者の人々にも共通項があります。そうしたトップ研究者の9割は、皆、似たような経歴を持っています。つまり、一流大学を出て、一流のラボでポスドクをし、独立後早くから大きな仕事を連発しています。すなわち、成功した有名研究者になりたければ、おそらくこうした条件を満たしていくことが近道なのであろうと思います。中央官僚として偉くなりたのであれば、東大に行くというのと同じでしょう。トップ研究室はリソースも潤沢で超一流紙にもコネを持っており、そういう研究室からの仕事は一流紙に載りやすい。そうやって彼らが流行を作っていくのだから、彼らの仕事は常に流行の最先端であり、したがって常にインパクトの高い論文となるわけです。そういうラボに入り込むには一流大学で良い成績を取っておく必要がある、そういうことでしょうな。
ですので、私のような経歴の人間は9割の普通の研究者の中でそれなりの幸せを見つけながら生きていくことを第一目標としつつ、チャンスを辛抱強く待つという戦略になるのです。

さて、参院選ですが、どーでもいいです。と言うと日本の国とその子孫の将来を真面目に考えよ、と説教されそうですが。
悪法も法、アベ氏でも総理、民意は民意、です。つまり、国民のレベルと政治のレベルは一致します。いくら、役人や政治家や経団連が結託して、マスメディアを操って国民を利用しやすいように社会の仕組みを変えようとしているのだとは言っても、騙す奴も悪いが、騙される方も悪いのです。国民のレベルも結局、アベ氏なみということです。

ただし、これは今現時点の話です。若者はプロパガンダを垂れ流すマスメディアから離れつつあります。そして、親の代に自民党に世話になったから、とか、創価学会信者だから、という義理や組織に頼る票は減っていくでしょう。昔はそれでもよかったが、今では、自民党も公明党も、中身も外見もすっかり変わってしまいました。もっともマトモなのが共産党かも知れないとういうような時代になっているのです。一旦、行き着くところまで行く方が良いのかも知れません。

世界には、悪政に耐えかね、生活が苦しくて国を捨てた人々が大勢おります。歴史的に見ればそういう人々を多く出さなかった国でない国の方が少ないでしょう。しかし、幸い日本は、第二次大戦後、勤勉な平和主義国家として、世界から信頼と尊敬を得てきました。総じて日本人の人間としての優秀さは世界トップクラスであったと思います。

しかし、どうもアベ政権や政府官僚は、グローバルがどうのと言って、日本人のレベルをを世界の平均レベルにまで落とし、「国を守る」ためという詭弁を弄して、戦争産業の末端に加わり、アメリカ軍の下っ端となって、世界中にケンカを売るチンピラ派遣社員にでも仕立て上げたいようです。そうやって、政府は、日本に悪事の片棒を担がせて、テロの対象になるような憎悪を買ってまでも、アメリカに貢ぎ、その隙に国民の税金の一部をピンハネしたい、ちゅーことのようです。アベ氏には「日本軍」というおもちゃを与えて、そのコマンダー イン チーフという称号さえやっておけば満足するだろう、これで、アメリカの歓心を変えるし、いざとなれば、戦争という最後の切り札も使って、溜まりに溜まった財政赤字もチャラにできる、とでも官僚組織は思っているのでしょうな。

野坂昭如さんが亡くなる前に述べられたように、軍装するのは、日本国民を守るためではなく、国民の命と財産の犠牲の上に「国体」(その実態は、支配者層である政府役人)の利益を守るためです。プルトニウムを満載した原発50基あまりを体中に巻きつけた自爆テロリストみたいな状態で、多少、武装したからと言って、どうやって国の安全が守れるとでも考えているのでしょうか(と確信犯に正論を言ったところで無駄ですね)。

ま、これも修行の一部とでも思って、われわれは、善意を持って前向きに、できることをやるしかないです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カタにはめられる | トップ | まずいレストラン »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事