間もなく、1人、研究室から去って行きます。マスターを取った後の三ヶ月という話で軽い気持ちで引き受けたのが、結局、一年半になりました。その間、なだめたりすかしたり、厳しく言ったり誉めてみたり、いろいろ努力してみましたが、やはり、本人に研究者としての自覚がない場合はどうしようもない、ということが身に染みてわかりました。とは言え、一年半、一緒にやってきた人ですから、ホッとする一方、寂しい気持ちもあります。彼女は博士課程に入学が決まりましたが、このままでは、遠からず大変、厳しい目に合うのは間違いないので、大学院を終えた後の事を大学院の入学初日からしっかり考えるように、とかなり厳しく言いました。しかし、やっぱり、全然わかっていないようです。博士課程を出て、最終的にアカデミアのポジションを長期的に維持できるのは、多く見積もっても2-3割というところでしょう。トップ20%に居なければ長期的にはムリです。そんな話もしました。限りある研究資金やポジションを奪い合うのですから、競争は激しいという現実をしっかり見つめて、実力をつけて準備する必要があります。その辺を自覚し地道に実力を磨く努力を続けなければなりません。彼女も何らかの縁で私の研究室に来た以上、できる限りサポートして上げたいとは思います。しかし、研究者など(研究者に限りませんが)孤独なもので、結局は個人の実力と運(これも実力のうちです)、Hardworkとdetermination、自分次第です。自分の面倒を自分で見れるようにするのがトレーニングなのですが、結局、口で言っても態度で見せても、彼女には伝わりませんでした。親の心子知らず、というとウチの母から文句がでそうですけど、結局は、本人自らが理解しない限り、何をやっても効果がないということをあらためて実感した、その無力感からくる寂しさですね。
ところで、いつもの政治劇場、最近はまとものフォローするのがアホらしくなってきました。アメリカでは、前回のDebt Ceilingを上げる代わりに民主党が飲んだ共和党の強制的予算カット執行期日とブッシュの減税政策の終了と借入金の上限到達が昨年末に一緒に来て(Fiscal Cliff:財政の崖)、大騒ぎしていました。そして、与野党駆け引きの結果、財政の崖からの転落が回避された、というニュースが新年そうそうありました。茶番劇がまかり通るのは日本だけではありませんね。最初から、強制的予算カットなどをすれば、大変なことになって自転車操業のアメリカ経済にトドメをさすことになるということぐらいのことは誰もがわかっているのですから、「財政の崖」が回避されることは最初から決まっていた事です。同様に借り入れ上限を上げることや、量的緩和をすることも、最初から決まっていた事です。喩えてみれば、アメリカ経済は骨髄不全の患者に輸血をし続けているようなものです。いつまでも輸血に頼っていられないとか、輸血に金がかかり過ぎるとか、野党は言うわけですが、輸血を止めたら死んでしまうのですから、輸血をし続けるという結論が変わる訳がありません。野党は与党に自党の支持者に有利なような条件を引き出すためにイチャモンをつけているだけのことです。結果、オバマの当初の増税案である年収25万ドル以上の人への増税が、共和党の反対で40万ドル以上への増税という条件へ退行しました。この辺も最初からシナリオがあったのでしょう。
リーマンショックの時も、結局、大手金融機関の杜撰な経営が招いた惨劇であったのに、もっとも責任をとるべき金融機関は、「大きすぎて潰せない」という理由で、公的資金注入を受け、その役員は一般国民の血税をふんだくって、高給を取り続けました。「財政の崖」も「税と社会保障の一体改革」も同じです。一般国民の危機感を煽り立て、増税やむなし、という世論形成をするためのキャッチフレーズというわけです。「多少増税にはなったが、財政の崖が回避出来てよかった、そうでなければ大変なことになっていた」と人々が思ってくれるように、こんなサル芝居をやるのです。日本でも同じ手で、さまざまなサル芝居が行われ、支配階級の一般国民に対するmanipulationが行われています。全てを疑ってかかるのはエネルギーを消耗するものですが、少なくともマスコミの怪しげなキャッチフレーズやヒステリー気味の報道には冷めた目でナナメ横から眺めるようにすべきではないかと思います。
ところで、いつもの政治劇場、最近はまとものフォローするのがアホらしくなってきました。アメリカでは、前回のDebt Ceilingを上げる代わりに民主党が飲んだ共和党の強制的予算カット執行期日とブッシュの減税政策の終了と借入金の上限到達が昨年末に一緒に来て(Fiscal Cliff:財政の崖)、大騒ぎしていました。そして、与野党駆け引きの結果、財政の崖からの転落が回避された、というニュースが新年そうそうありました。茶番劇がまかり通るのは日本だけではありませんね。最初から、強制的予算カットなどをすれば、大変なことになって自転車操業のアメリカ経済にトドメをさすことになるということぐらいのことは誰もがわかっているのですから、「財政の崖」が回避されることは最初から決まっていた事です。同様に借り入れ上限を上げることや、量的緩和をすることも、最初から決まっていた事です。喩えてみれば、アメリカ経済は骨髄不全の患者に輸血をし続けているようなものです。いつまでも輸血に頼っていられないとか、輸血に金がかかり過ぎるとか、野党は言うわけですが、輸血を止めたら死んでしまうのですから、輸血をし続けるという結論が変わる訳がありません。野党は与党に自党の支持者に有利なような条件を引き出すためにイチャモンをつけているだけのことです。結果、オバマの当初の増税案である年収25万ドル以上の人への増税が、共和党の反対で40万ドル以上への増税という条件へ退行しました。この辺も最初からシナリオがあったのでしょう。
リーマンショックの時も、結局、大手金融機関の杜撰な経営が招いた惨劇であったのに、もっとも責任をとるべき金融機関は、「大きすぎて潰せない」という理由で、公的資金注入を受け、その役員は一般国民の血税をふんだくって、高給を取り続けました。「財政の崖」も「税と社会保障の一体改革」も同じです。一般国民の危機感を煽り立て、増税やむなし、という世論形成をするためのキャッチフレーズというわけです。「多少増税にはなったが、財政の崖が回避出来てよかった、そうでなければ大変なことになっていた」と人々が思ってくれるように、こんなサル芝居をやるのです。日本でも同じ手で、さまざまなサル芝居が行われ、支配階級の一般国民に対するmanipulationが行われています。全てを疑ってかかるのはエネルギーを消耗するものですが、少なくともマスコミの怪しげなキャッチフレーズやヒステリー気味の報道には冷めた目でナナメ横から眺めるようにすべきではないかと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます