和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

久間発言問題。

2007-07-08 | Weblog
久間章生(きゅうまふみお)氏は昭和15(1940)年12月に生まれ、出身は長崎県南島原市。ここでは、読売新聞2007年7月1日の2面記事を引用してみます。
【久間防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米国が広島と長崎に原子爆弾を投下したことで昭和戦争の終戦が早まったと指摘した上で、「間違えると北海道までソ連に占領されていた。原爆も落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、『あれで戦争が終わったんだ』という頭の整理でしょうがないなと思っている」と述べた。・・・・久間氏は講演終了後、発言の真意について『当時の日本政府の判断が甘く、終戦が遅れるとソ連に占領されていた可能性があったことを指摘しただけだ。原爆を肯定したわけではない』と記者団に説明した。】

この問題については7月2日「産経抄」が読み甲斐があり、理解の助けとなります。
こうはじまっておりました。
「久間章生防衛相といえば、イラク戦争は間違いだったと発言した人物である。普天間基地の移設に関して、『アメリカは沖縄の声を聞かない』と批判もした。日米の同盟関係に波風を立てた《前科》がある。・・・・『しょうがない』人ではあるが、いわゆる原爆投下容認論者ではないらしい。たとえば、本島等元長崎市長は、『日本はアジアに謝罪する必要がある。原爆は仕方なかった』などと各地の講演会で説いたものだ。こうした考え方の原点をたどれば、広島市の平和記念公園にある原爆慰霊碑の碑文に行き着く。『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』。雑賀忠義広島大学教授の考案によるこの碑文は、昭和27年の碑建立当時から、『主語』をめぐって論議を呼んできた。率直に読めば、原爆投下は、日本人に責任があるということになる。この碑文をありがたがる人たちに、久間発言を非難する資格はない。・・・・」

原爆といえば、大江健三郎著「あいまいな日本の私」(岩波新書)にある言葉が思い浮かびます。それを指摘していたのは、谷沢永一著「こんな日本に誰がした」(クレスト社・平成7年)でした。

【広島、長崎のあの大きい犠牲は、償われなければならないと思います。償うのは私たちです。】(「あいまいな日本の私」より)
こう大江発言を引用したあとに、谷沢さんは書いております
「【広島、長崎のあの大きい犠牲は、償われなければならない】とくれば、加害者が被害者に償うというのが、通常の言葉遣いである。ところが大江の場合は【償うのは私たちです】、つまり被害者が被害者を償うわけだ。・・・」
こうして、谷沢さんは指摘するのです。
「そこには日本人としての気概も誇りもない。しかしこれは大江ひとりだけの問題ではない。戦後日本は気概を持たないことが国是となってしまった観がある。最近、それを如実に物語る出来事が北京で起きた。訪中した村山首相に対し、北京政府の首相・李鵬(りほう)は『日本にはたしかに軍国主義が存在する』と述べた。だが、自分の国はどうだと言うのか。膨大な国家予算を使いながら着々と海・空軍力を増強しているではないか。国際世論を無視して地下核実験を強行し、南沙諸島や尖閣列島に手を出し、チベットを軍事力で威嚇しているのは誰か。北京政権こそ、最大の軍事大国ではないか。ところが李鵬は自国の軍拡にはいっさい口を閉ざし、ありもしない『日本の軍国主義』を非難する。実に、ふざけた話であるが、外国とはそういうものなのだ。・・自国のために、嘘をついてでも外国の悪口を言うのが、国際関係の常識なのだ。この時、村山首相はどうしたか。黙って李鵬の話を拝聴していたらしい。反論したという報道はない。・・・毅然として堂々と日本の言い分を主張するのが、政治家たる者の義務である。村山の態度には、日本国の宰相としての気概がひとかけらもない。気概の反対語は卑屈である。・・」(p164~167)

ところで、久間発言は武骨ではあれど、けっして卑屈ではない。
そう思うので、新聞記事およびコラムを引用し、再確認をしたかったのでした。
ただ、久間防衛相が辞任という経緯をふまえながら、少しずつでも、
私たちは「気概」を身につけていこうとしているのだと、そう思いたい。
コメント
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