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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

背筋を伸ばし。

2007-07-20 | Weblog
文芸春秋から出ている年間購読冊子「本の話」(2007年6月号)。
そこに重金敦之さんが「酒屋に一里 本屋に三里」という連載をしております。
日記体で書かれており、6月号に、こんな箇所がありました。
「×月×日 植木等さんが亡くなった。三谷幸喜氏が、朝日新聞の『ありふれた生活』で、【唯一無二の人】と追悼。・・・緊急重版した植木等の名著『夢を食いつづけた男 おやじ徹誠一代記』(朝日文庫)を再読する。」とありました。

この朝日文庫が緊急重版されていたのですね。知らなかった。
それなら、それで書いてみたいと思っていたことがあります。
それは3月29日の新聞一面コラムの比較をしたかったのです。
その日の、毎日新聞『余録』と朝日新聞の『天声人語』。
どちらも、『夢を食いつづけた男』の同じエピソードを引用しているのでした。

まず余禄の書き出しを引用してみます。

「亡くなった植木等さんの父は戦前、労働運動や解放運動に身を投じ、また出征兵士に『戦争は集団殺人だ』と説く反骨の僧侶だった。その父が治安当局に拘束されると当時小学生だった等少年は父の代わりに僧衣を身にまとい、檀家(だんか)を回って経をあげた」

つぎに、天声人語の書き出しを引用してみます。


「一休さんのような少年僧が、暗い道に張られた縄に足をとられた。地面にしたたかに顔を打ち付け、血が噴き出す。しかし、少年は泣くこともなく寺に帰ってゆく。『衣を着たときは、たとえ子どもでも、お坊さんなのだから、喧嘩をしてはいけません』。少年は、縄を仕掛けた連中が近くに潜んでいるのを感じたが、この母の教えを守った・・・」


さて、ここに出てくる「母の教え」のセリフが、私には気になったわけです。
余録も同じセリフを引用しているのですが、本そのままに、すこし長めの引用をしておりました。その同じ箇所のセリフを余録から引用してみますと。

『衣を着た時は、たとえ子供でもお坊さんなのだから、けんかをしてはいけません。背筋を伸ばし、堂々と歩かねばなりません』とあります。
文庫「夢を食いつづけた男」(p168)にそのセリフがありました。
文庫には「おふくろは、いつもそう言っていた。」というセリフ、ちょうど余禄が引用したのとピッタリ同じでした。天声人語はそのセリフを省略して引用しております。

二つの一面コラムを比べて読むと、その違いがクッキリとしてきます。
「母の教え」が、天声人語では「いけない」と禁止だけを口にしている。
一方の余録では、「背筋を伸ばし・・」とその態度にまでも言及しているのでした。読み比べるとはっきりした違いとして印象づけられます。


そのセリフの引用の違いで、内容も違って印象づけられてしまいます。せっかくですから緊急重版されたという、文庫本のその箇所を、詳しく取り上げてみようと思うのです。


「おやじが頻繁に検束されたり各地の社会運動に出て行ったりで留守がちだったから、まだ小学生の私の双肩に、僧侶の役目が覆いかぶさってきたのである。・・・・お布施を、・・あちこちで値切られたものだが、しかし、一人前の僧侶として扱ってくれた人もあった。夏の暑い日だった。貧しい檀家の仏壇の前で阿弥陀経をあげながらふと気がつくと、そこの家のお婆さんが団扇(うちわ)で私に風を送ってくれている。そして私がお経を終えると、お婆さんは『ありがとうございました』と、畳に額をこすりつけるようにして挨拶してくれた。この子どもの私を、一人前の僧侶として遇してくれたのは、あのお婆さんが初めてだった。・・
私の檀家回りは学校から帰ったあとだから、日の短い冬などは、檀家を回る道が、とっぷり暮れていた。高い歯の下駄をはいて、この暗くて、細くて、曲がりくねった路地を急いでいる私を、しかも腕白たちが狙うのである。彼らは路地の両側にひそんで道に縄を張り、私の足をすくおうとするのだ。ある時、この罠に見事にかかって、私は凍てついた路面に、もんどりうった。したたか顔を打ったために、どくどくと鼻血が出てきた。私は、掌で血の溢れ出る鼻を押さえながら、路地の両側の暗闇にひそんでいるらしい連中に復讐したいと思った。その暗闇の中に躍りかかりたいという衝動を覚えた。しかし、私は泣き声も立てず、罵声も浴びせなかった。なま温かい血で顔を染めながら、私は静かにその場を去った。」

だいぶ引用がながくなりましたが、ここからが、例のセリフが出てくる箇所です。

「なぜ喧嘩を避けたかといえば、鼻血を出したままで次の檀家に行くわけにはいかない、早く寺に帰って手当てをしてから、またお経をあげに回らなければならないと思ったからだ。そしてもう一つ、おふくろに言いきかされていたことが、頭にあったからだ。『衣を着たときは、たとえ子どもでも、お坊さんなのだから、喧嘩をしてはいけません。背筋を伸ばして、堂々と歩かなければなりません』おふくろは、いつもそう言っていた。寺にたどりついて玄関を入ると、おふくろが私を見て、無言のまま手早く手当てをしてくれた。私を横にして、冷たい水で絞った手拭いで鼻を覆い、その手拭いを取っかえ引っかえしてくれた。血が止まったあとで、おふくろは私を膝の上に乗せた。抱きしめ、頭を撫ぜてくれた。『よく辛抱したね』私が何もいわなくても、おふくろには何でも分かっていた。おふくろは大粒の涙を、ぼろぼろと流していた。」

この本は(構成・北畠清泰)とありますから、この場面など、その構成が光る箇所にあたるのでしょう。それでも「おふくろは、いつもそう言っていた。」という箇所は間違いないと思えるではありませんか。


ところで、緊急重版されたという「夢を食いつづけた男」は、
残念ながら、ネット上のbk1でも、アマゾンでも、見あたりませんでした。
小部数の重版だったのでしょうか?

追記。セブンアンドワイでは、注文できます(630円)。

コメント
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