和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

指導者と説得者。

2007-07-10 | Weblog
久間防衛相の発言「原爆投下しょうがない」(朝日新聞2007年7月1日一面左上の見出し)を思っていたら、愛知県の長久手町での事件と結びつけたくなりました。ということで以下そのむすびつきについて。

まずは愛知県の事件をおさらいしてみます。
曽野綾子さんがVoiceに「私日記」を連載しております。
その8月号の記載を引用してはじめたいと思うのでした。
5月18日の日記に「・・愛知県の長久手町で、離婚した妻を人質に立てこもっていた元暴力団員は、警官一人を射殺し、一人に重傷を負わせ、自分の息子と娘も撃って、やっと午後八時半自分で家の中から出て来ると両手を上げて、『撃つな!』などと言っている。両手を上げている犯人に、しかも警官が殺到するでもない。傷ついた警察官を五時間も収容できず、しかも、犯人に異様に甘い薄気味悪い逮捕劇であった。」(p256)

曽野さんは「犯人に異様に甘い薄気味悪い」と書いております。
さて、2007年6月4日朝日新聞のopinion欄は、王敏(ワンミン)が書いておりました。そのはじまりはというと、

「先日、警察官ら4人が死傷した愛知県の立てこもり事件で、犯人投降の現場がテレビで報じられた。指示された通りに行動する男に対して、『ありがとう』と警察から感謝の言葉が発せられた。神経が高ぶっている犯人を刺激しないためのマニュアルに沿った対応だとの話も聞いたが、見ていた在日外国人の中には、『日本人はここまで寛容なのか』と驚いた人が多かったのではないだろうか。・・・」

私は、この事件の「ありがとう」と、久間発言「原爆投下 しようがない」という言葉とを結びつけたい誘惑にかられるのです。まあ、それはそれとして「諸君!」2007年8月号、佐々淳行氏の連載の記事の引用をしてみたいと思うのです。
佐々淳行氏はSATの創設者として立場から書いておりました。その連載での見出しは「愛知県警幹部は『不作為責任」を猛省せよ」とあります。
こうはじまっております。

「平成19年(2007)5月17日、愛知県長久手町の住宅街を29時間も恐怖に陥れた、人質をとった立籠り事件に対する愛知県警の危機管理は、日本警察として猛省すべき失敗例である。・・」

以下3ページにわたる箇条書きの指摘が読む者に分かりやすいのですが、
ここでは私が気になった箇所を引用してみます。
それはSITとSATを語る箇所でした。


「何のためのSAT投入か。17日午後4時10分の時点で、刑事部指揮のネゴシエイターSITによる時間をかけた『説得』から、警備部指揮、SATによる強行突入・制圧に警備方針を切り換えるべきだった。また傷を負った木本巡査部長の強行救出を最優先課題にすべきだった。犯人は『拳銃』のみの単独犯、人質は『第三者性のきわめて稀薄』は元妻。発端は『痴話喧嘩』でありDV(家庭内暴力)である。・・・あさま山荘の体験からいえば、機動隊のふつうの大楯は、二枚重ねれば拳銃弾は貫通しない。欠けていたのは『決断』と『勇気』だ。・・・
対テロの切札であるSATを衆目にさらけ出し、殉職者まで出し、この種の犯罪に対する抑止力を低下させた愛知県警上層部の『不作為責任』は、まさに、《進退伺い》ものである。猛省せよ、愛知県警。」


もちろん全文を読まれることが肝心なのですが、そこからすこし引用してみました。「対テロ」を私は「対中国」としたい思いでいるわけです。
「対慰安婦問題」としてみたくもなるのです。その「不作為」がこれ以上にはびこりませんようにと、祈りに似た気持ちを抱くわけです。  
コメント
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