和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

井戸の話。

2007-07-12 | Weblog
ときどき読み終わった本の、ちょっとした箇所を思い浮かべる時があります。気になるのですが、それがどこで読んだのか、わからない。でも、たまたま思い浮かんで、確認できることもあります。今回も私の場合ありました。「井戸」についてです。
ああ、この箇所だった。と確認できたのは谷沢永一著「私はこうして本を書いてきた 執筆論」(東洋経済新報社)のこんなエピソードでした。

「子供のころ、町住(す)みの学者である伊藤仁斎が、襷(たすき)がけで町内の井戸浚(さら)いに加わったという挿話(エピソード)を読んだことがある。仁斎がどういう人なのか、その頃は何も知らなかったけれど、井戸浚いという行事の意味するところは感じでわかった。汚れている水をそっくり汲みだすと、そのあとおのずから清い水が次第に湧きでるという次第であろう。」(p119~120)
このあとに谷沢さんはこう書いておりました。
「執筆もまた同じ要領ではないか。常に持札のすべてを投げ入れる気組みでなければならない。いちど頭のなかをすっからかんにする。そうすればこそ、あとから新鮮な考えが浮かぶであろう。そうであるに決まっていると思いたい。」

ここで、谷沢さんは、井戸浚いを「感じでわかった」と了解しております。
この感じが、どうにもわからない場合がある。
ということで、私に忘れられない社説を引用したいと思うわけです。
それは1997年の社説でした。
そこでは、まず谷川俊太郎の詩「みみをすます」を引用しておりました。
そうして、社説子は次に「自分だけが正しい、あとはみんな間違いだ、といったことを、品のない日本語で、ときには歴史的な事実や背景を無視して、声高に言いつのる人間や組織がふえている」とつなげるのです。
そしておもむろに箇条書きに指摘したあとで
「そこには、三宅雪嶺や柳田國男など、伝統的な保守主義がもつ格調の高さ、論理の精密さというものはない。」と書いております。
何か二人の名前を出して、恰好をつけてダメ押しをしている風なのです。
そのあとが、傑作。
どういうわけか、韓国の経済学者、金泳鎬(キム・ヨンホ)を引用するのです。
「いまの日本は井のなかのカエルではない。井のなかのクジラだ」。
こうして金さんの言葉を引用したあとに、だらだらと、社説で講釈をはじめて、
なんと最後に近くこう指摘するのです。
「カエルとクジラの話に戻すと、まず、クジラがすむ日本という名の井戸の水を十分に攪拌することだ。一つだった井戸の湧き口をもっとふやし、井戸水が川へ流れ、海にいたるような水路も用意しよう。そのとき、それはもはや井戸ではない。クジラは、そのあいだを、自由に往来するようになるだろう」

なんとも、私はこれを読んで唖然としたのです。「伝統的な保守主義者がもつ格調の高さ、論理の精密さといったものはない」と書いたあとに、韓国の学者のクジラの比喩を持ち出し、しかもそれを使ってしめくくろうとしておりました。

この社説の見出しが、またすごいのです。
題して「井戸の水をかき回そう 21世紀への助走」とあります。
いったい、この社説は、どこの国の人が書いているのでしょうか?
一瞬笑わせようとして書いているのかと思いましたが、違うようです。
それよりも、韓国人や中国人が、他国人を馬鹿にするような書き方なのじゃないのか?
さて、皆さんは、これがどの新聞社の社説だと思いますか?
その新聞社の名前は最後に明かすとして。ところで、この社説はいつ書かれたか?
1997年1月1日。つまり元旦の新聞社説なのです。
私は、この社説を忘れないでしょう。元旦に言葉で持って唾を吐きかけているようなこの社説を、私はこれからも忘れないでしょう。しかも、この社説はいっぱし、日本人を引率している気でいるらしい。

元旦でしかも、「伝統的な保守主義が持つ格調の高さ」というと私が思い浮かぶのは、たとえば、岡野弘彦氏のインタビューに答えたこんな言葉です。

「私の生まれは三重県の雲出川の上流で、昔ふうにいえば伊勢、大和、伊賀の三国が接するところの神社です。歌の道を選んでいなければ、35代目の神主でした。・・五歳のときには、父にいわれ、新年の若水を汲(く)みました。そのとき、氷の張る川に向かって唱える歌があります。

  今朝(けさ)汲む水は 
  福汲む水汲む宝汲む命永くの水汲むかな

最初に覚えた歌は、これでした。」(夕刊1998年9月17日)


こうして歌人岡野弘彦氏の「新年の若水」を、引用していると落ち着いてきます。
最後になりましたが、引用した1997年元旦の社説は、ほかならぬ朝日新聞です。

(もう一つ井戸を引用したかったのですが、以上で十分でしょう。せめて題名だけでも、書きとめておきます。対談「昭和の道に井戸を訪ねて」。平成7【1995】年10月「思想の科学」に載った司馬遼太郎・鶴見俊輔の対談なのでした。)


コメント
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