和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

NHKの世界地図。

2007-07-15 | Weblog
どうにも、気になるので、書きます。それは、テレビのNHKニュースのことです。中央にアナウンサーがひとり座ってニュースを語りますよね。その背景についてなのです。背景が世界地図になっているわけです。普通の地図じゃ地図帳みたいで芸がないとでも思ったようにして、横線を重ねて縞模様のようにした世界地図が背景になっている。その太平洋のまんなかに、ちょうどアナウンサーが居るという格好なのです。こちらから見てアナウンサーの右側が南北アメリカ。
左側のちょうどアナウンサーの耳の横ぐらいに日本のような縞模様があるわけです。私が気になるのはですね。中国の縞模様の線が一本。日本とつながっているのでした。それが毎回気になってしかたがない。
ありゃなんだ。と思うわけです。
たとえば、オウム事件の時に、麻原彰晃の映像がTBSのテレビに何秒?か出ていて問題になったことがありました。それじゃNHKの世界地図に中国と日本が繋がっている映像が毎日流れるというのは、いったいなんなのだ。と、ひとり思うわけです。このNHKの映像はやめていただきたい。と、ひとり書いておきたくなったのです。こういう時にブログというのは随分結構なものです。
ひとりブツクサ言える。でもひとりだけで言っているのもなんなので、誰かこうした私みたいに考える方はいないものか? 

溜飲が下がる。文がありました。
「正論」2007年8月号。中村粲(あきら)氏が「NHKウオッチング」と題して書いている。それが随分と身近に感じられました。一覧表入りで「今年も国家を『馬の尻』で侮辱したNHK」とあります。
ちょいと、読むのがめんどくさい私でも、一覧表なら、分かりやすいので目がいきました。地図がすぐに目に入ると同様に随分と分かりやすい工夫がなされておりました。さて中村さんの一覧表には「日本ダービーに於ける国家の放送 NHKとフジテレビ【スーパー競馬】の比較」とあります。
平成14年第69回の箇所をとりあげてみましょう。
その比較の前には「平成11年8月9日国旗国歌法成立」とあります。
さてNHKとフジテレビの比較が上下で載っております。
< 開会式で塩田美奈子さんが国家独唱 >とありまして。
NHKは「「君が代独唱」と福澤浩行アナ。独唱の間、待機場での出場馬の尻の映像を流し続ける」。
フジテレビは「国歌独唱と吉田伸男アナ。独唱の間、国歌を歌ふ小泉首相、歌手、会場の映像。独唱が終ると観衆の歓呼と拍手」。

さて、あとはNHKの場合だけ一覧表からとりあげてみます。

第71回平成16年「馬の尻の映像を流し続ける。」
第72回平成17年「開会式カットで『君が代』隠す。」
第73回平成18年「国歌独唱を全部放送するも、【千代に八千代に】と【苔のむすまで】の前後二ヶ所で馬の尻の映像を流す。」
第74回平成19年「独唱が始まると国旗、観衆、皇太子殿下、安倍首相夫婦を写したが【さざれ石の巌となりて】の個所で次々と馬の尻の映像を流す。」

すごいなあ。これぐらいのウオッツングの継続がなければ、NHKの隠れた姿が見えてこない。このリストアップはすばらしいなあ。ただの文章で書かれていたら私は読まなかったと思うのです。

ところで次に、シナと日本を一本線でつないでしまうNHKの愚を指摘しておきたくなるわけです。最近。津田左右吉著「支那思想と日本」の「まへがき」を引用している本を見かけました。3冊。

     高島俊男著「座右の名文」(文春新書)
     高島俊男著「本と中国と日本人と」(ちくま文庫)
     谷沢永一著「こんな日本に誰がした」(クレスト社)

最初の2冊は同じ人の本です。文春新書の方はp143に「ぼくが生涯最大の影響をうけた本、『支那思想と日本』」という言葉があります(ちなみに、ご存知の通りパソコンの一括変換では「支那」は出てきません)。その次のページで「まへがき」を引用しております。この高島さんの新書のあとがきは「この本は、ぼくにとって初めての、しゃべってつくった本である」とありますから、引用自体が少なめにできておりまして、その貴重な引用のひとつにこの「まへがき」をもってきております。
もう1冊の「ちくま文庫」は本の書評を並べたものです。
そのp321~325までが津田左右吉著「支那思想と日本」の書評をしております。
そこでも「まへがき」を丁寧に引用しておりました(p322~324)。

ちょいと、しんどいので私は「まへがき」の引用はしませんよ。

さて、3冊目のクレスト社の本です。そのp102~103に「まえがき」の引用があります。ここでは、谷沢さんの言葉を引用してみましょう。

「歴史学者の津田左右吉は『支那(シナ)思想と日本」(昭和13年刊行・岩波新書)の中で、支那文化と日本の文化はまったく異質である、同じ漢字を使っているからといって同列に考えてはいけない・・・」
こうして津田左右吉の「まえがき」を引用したあとに
「これが、ひいては岩波茂雄とともに起訴される筆禍事件に結びつくわけである。この当時、すでに支那事変が始まっていた。『日華同一。支那五族と日本は同じだ』という軍部の音頭取りの最中に、津田左右吉は泰然として、いや一切違う国であるという本を突き付けたのである。」

現在の津田左右吉は、どこに健在でしょう。
昔の軍部みたいに、ひとの意見を聞かずに、始末に負えない人たちは、安易にシナと日本とをひとつ線で結びつけたがる。恥じない。
あの一つ線を、NHKのニュースを見るたび毎日付き合わされる。これは麻原彰晃の顔よりもなお、たいへんな刷り込みなのだ。
と、ブログに書いておこう。
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阪神震災・本難儀。

2007-07-15 | 地震
平成7年1月17日午前5時46分。阪神大震災があったのでした。

谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版)
谷沢永一著「紙つぶて(完全版)」(PHP文庫)
谷沢永一著「こんな日本に誰がした」(クレスト社)

この三冊が思い浮かびました。

最初の「読書人の点燈」には平成8年2月1日「プレジデント」に掲載された
「震災で得た『五つの教訓』」が載っております(p100~103)
普段は自慢になるためか、蔵書の話はしない谷沢さんですが、ここでは
それが話題の中心になっておりまして、興味をひくのでした。
ちょいと長い引用になりますが、ご勘弁してもらって、つき合って下さい。

「今回の震災は私の仕事にとって決定的な打撃を加えてくれた。
書庫が壊滅状態になったのである。私は自分の勉強に必要な書物は我が所有にしなければ気が済まぬ性質(たち)なので、若いときから無理に無理を重ねながら本のを買いつづけてきた。その結果、我が家の書庫は一階と二階とあわせて五十坪、少くみて十万冊をかなりうわまわる蔵書が蓄えられている。蒐めたのは主として古本なので、昭和六十年ごろまでの私は、送金がおそいことで古書業界に聞こえていた。・・・その苦心惨憺によって身を切る思いで蒐めた蔵書の三分の二が、書棚から落ちて床にうずたかく叩きつけられ散乱したのである。私は呆然として腰が抜けたようにへたりこんだ。書物というものは一点一点まったく別個の内容であり、そして相互にいわく言いがたい特殊な関連があるのだから、その利用方法に即して整然と並べられていてこそ意味がある。それがてんでばらばら何がどこにあるのか判らぬ状態では、はじめから持っていないのと同じであろう。私はすでに六十五歳、これを全部もとどおり有効に並べることなど不可能である。そこで、とりあえず若い大工さんに頼んで、手あたり次第に原則的に、つまり無茶苦茶に棚へともどしてもらった。続いて、懇意の古書店に来ていただき、朝から夕方までの四日間、手放すべき本を私が抜きとる作業を急いだ。その結果、放出する古書が二頓トラック三台分、我が家から運びさられたのである。」

ここからが、大切なので、もうすこし引用におつきあい下さい。

「残ったのは大体もとの半数ちょっと、それがいまだに無秩序なまま書棚に残っている。それすら並びかえる元気はない。本の整理は立ったりしゃがんだり行ったり来たり、かなり厳しい肉体労働なのである。現在の私は、その乱雑を混淆のまま覚えようと、閑を見つけては書棚の前を行きつもどりつしている。私のおおまかな推測では、個人がひとりで管理しうる蔵書の数は、十万冊以内にとどまるのではなかろうか。・・・あれから一年、私は今も自分が絶対に持っている筈なのに見つからぬ本を探して、書棚の前をうろうろしている。・・・本に怨みはかずかずござる。震災後の私は、自分の本を見つけるのに難儀するという面白くない徒労を強いられているのである。」


こうして、蔵書のことだけを引用していると嫌味にとられかねないのですが、
普段は、こういうことは一切触れたがらない谷沢永一氏でありますので、引用したという次第です。

PHP文庫の「紙つぶて(完全版)」。その解説は渡部昇一氏でした。
そこで、阪神大震災のことにふれながら、谷沢氏を語っているのでした。
最初の方にはこうあります。
「主人永一は午前三時頃から書物を相手に仕事をしていたが、二時間半以上もの集中のあと、ほっと一息つくため、食堂に出て一服吸っていた。書庫に入っていたままだったら圧死した可能性がある。・・」以下9ページほどの文です。

3冊目の「こんな日本に誰がした」。その副題は「戦後民主主義の代表者 大江健三郎への告発状」とあります。平成7年1月に阪神大震災が起こったわけですが、この紹介する3冊目は初版が平成7年6月となっておりました。

そのp78~81に阪神大震災にふれた箇所があります。
そこを引用してみたいと思います。

「大江が国内外で立場を巧妙に使い分け、外国には強く、国内にはソフトに語る対象は皇室だけではない。『産経新聞』(平成7年4月30日)の報道によると、大江は『ワシントンでの講演会で、日本の自衛隊は憲法違反だから全廃しなければならない、という大胆な発言をした』という。以下、この記事(古森義久記者)の中から引用する。」
その古森氏の引用は、ここでは省略して、その次にいきます。

「このことが報ぜられた翌日、『産経抄』(平成7年5月1日)が大江のこの態度を見事に切り捨てた。」と谷沢氏は指摘して引用しております。

「大江氏が自衛隊を目の敵にするのは今に始まったことではない。昭和33年に『防大生はぼくら同世代の恥辱」と言い切って議論を呼んだことがある。しかしこの問題は、必ずしもきちんと決着がついたわけではない(中略)。しかし、阪神大震災で自衛隊が大黒柱となって果たした役割については、今さら持ち出すまでもないだろう。『自衛隊の姿を見て、これで助かったと思った』と口々に訴えた被災者の感謝は、国民の自衛隊に対する期待感を如実に示していた。・・・」

もう少し産経抄からの引用が続くのですがこれくらいにして、つぎの谷沢さんの言葉を引用しておきます。

「大江は、日本国憲法は『米国の民主主義を愛する人たちが作った憲法なのだからあくまで擁護すべきだ』と、米国相手に精一杯のおべっかを述べている。しかし、大江の思惑とは裏腹に、聴衆の米国人の反発を招く結果となったようだ。『産経抄』が引合いに出した阪神大震災のくだりについては、私自身、被災者のひとりとして、まったく同感である。ところが大江はその自衛隊を『完全になくさねばならない』と言う。しかも、『中国や朝鮮半島の人民たちと協力して、自衛隊の全廃を目指さねばならない。終戦から五十周年のいますぐにもそのことに着手すべきだ』と主張する。なぜ『中国や朝鮮半島の人民たちと協力』する必要があるのか。・・・・」

まだつづくのですが、「本の難儀」からはそれてしまうので、ここまでとします。
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