和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

大正12年・昭和12年。

2007-07-25 | 地震
小説を読むのが苦手なのですが、そのかわり詩や書評を読むのが好きです。
ということで、興味深い書評欄の記事を見つけると、本を読まない癖して、うれしくなります。興味深いうわさを聞いたような気になります。

最近もありました。
産経新聞2007年7月22日の「著者に聞きたい」欄。
三田完(昭和31年生まれ)著『俳風三麗花』(文芸春秋)について、語られております。
「昭和7年夏から8年暮れにかけて、東京は日暮里在住の数学の大学教授で俳人、秋野林一郎こと暮愁(ぼしゅう)が主宰する暮愁庵句会に集う3人の・・・」

興味を引いたのは、著者三田完さんのこの言葉でした。

「『大正12年の関東大震災以降、昭和12年ごろまでは、日本の近代の黄金時代だと思います。そのあたりの歴史を調べて小説にする作業はとても楽しくて』本書を書く呼び水になった。」


この「大正12年から昭和12年まで」を黄金時代と思う人がここにおられる。
ということで、いつかこの本を読んでみたいのでした。
とりあえず、読みたい本として唾をつけておくように、覚書を書いておくわけです。どなたか読んだ方がいないかなあ。と小説を読まない怠惰な私は思うのでした。
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本の怪談。

2007-07-25 | Weblog
谷沢永一氏の言葉で「執筆論」(東洋経済新報社)に
「坂田三吉は、銀が泣いている、と活用されない駒の嘆きを痛烈に代弁した。我が家の書庫でもまた、今になってもまだ仕事に用いられない多くの本が泣いている。他人(ひと)のことをとやかく言う資格が私にはない。」(p218)というのがありました。
本が泣いているといえば、ひょっとすると、見方によっては怪談じみてくる。
本が死んでいるというと、なおさら。
阪神大震災のときには、本が飛んでいたわけですが・・・。

作品社の「日本の名随筆」というシリーズがあります。
その別巻6に、谷沢永一編「書斎」というのが入っておりました。
そのあとがきは谷沢さんの文で、わずか2ページ。
その2ページに本が死んだり、動いたり、疲れたり、呟いたりしておりました。

ということで、その2ページの紹介。
谷沢さんが書斎を語る時に、まずどう語り始めるのかというと、こうでした。
「自分のもっていないものについて語る場合、その表現はかなり気楽であるだろう。読者の同情に訴えればよいからである。明治以来、我が国の散文技法は、もっぱら、その方角で技法を磨いてきた。伊藤整流に言うなら、不所持の詠嘆、である」


ここで、真ん中を端折って、後半を引用します。

「もともと、書斎にどの本を置くかの選定は、常に必ず厄介なのである。・・・かなりしょっちゅう使うから、見たところ、本の並びが凸凹になる。そういう場合、書棚の本が動いている、と言い慣らわす。逆に、書斎の主が、平素、本をあまりいじらないでいると、勢い、一冊一冊の本が、手前に出たり引っこんだりしないで、快くピチッと揃っている。これを、本が死んでいる、と謂う。また、全集や叢書など揃い物の場合、どうしても、利用が特定の巻に傾き、したがって、その何冊かだけに手垢がついて汚れる。つまり、均しなみに見事に綺麗なセット物は、今まで使っていただきませんでした、とひそかに呟いているのである。結局、書斎は、乱雑、であるしかないだろう。書物は、やはり汚れているだろう。辞書は、謂わゆる疲れ本となっているだろう。・・・・」


困ったなあ。この箇所を読んでから、あらためて、自分の本棚を眺めるわけです。
すると、怖いことに、本棚が、いつのまにか、死んだ本の墓場にみえてくる。


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