仏教について、この頃結びつけたくなる私的3冊。
中村吉広著「チベット語になった『坊ちゃん』」(山と渓谷社)
このp30~p32「オウム真理教のチベット文字」。
今枝由郎著「ブータン仏教から見た日本仏教」(NHKブックス)
このp26~p33「大学進学の目的・チベット語」。
谷沢永一著「読書通 知の巨人に出会う愉しみ」(学研新書)
このp158~p175「岩本裕――「日本文化を浮彫にする仏教語辞典」を作った偉業の主」。
ところで、「ブータン仏教から見た日本仏教」の「おわりに」は、徒然草の最後第243段の文を引用しながらはじまっており本文を読み終わってから、読むとゾクゾクとしてくるのでした。なにか徒然草の頃から、仏教はこうだったのかと身近に感ぜられてくるのでした。
そういえば、朝日新聞2007年6月10日には、読書欄の連載「たいせつな本」があり、その日は嵐山光三郎さんの回でした。そこで、とりあげていた本が、他ならぬ「徒然草」で、こんな箇所がありました。
「『徒然草』は後二条天皇の皇子(邦良【くによし】親王)が皇位につくためのテキストとして書かれ、親王が27歳で没したため、随筆になった、というのがぼくの推論である。」
この「僕の推論」が、私には鮮やか。
中村吉広著「チベット語になった『坊ちゃん』」(山と渓谷社)
このp30~p32「オウム真理教のチベット文字」。
今枝由郎著「ブータン仏教から見た日本仏教」(NHKブックス)
このp26~p33「大学進学の目的・チベット語」。
谷沢永一著「読書通 知の巨人に出会う愉しみ」(学研新書)
このp158~p175「岩本裕――「日本文化を浮彫にする仏教語辞典」を作った偉業の主」。
ところで、「ブータン仏教から見た日本仏教」の「おわりに」は、徒然草の最後第243段の文を引用しながらはじまっており本文を読み終わってから、読むとゾクゾクとしてくるのでした。なにか徒然草の頃から、仏教はこうだったのかと身近に感ぜられてくるのでした。
そういえば、朝日新聞2007年6月10日には、読書欄の連載「たいせつな本」があり、その日は嵐山光三郎さんの回でした。そこで、とりあげていた本が、他ならぬ「徒然草」で、こんな箇所がありました。
「『徒然草』は後二条天皇の皇子(邦良【くによし】親王)が皇位につくためのテキストとして書かれ、親王が27歳で没したため、随筆になった、というのがぼくの推論である。」
この「僕の推論」が、私には鮮やか。