読売俳壇2月25日の小澤實選。その最初に
降る雪や明治生れがまだ居るぞ 八王子市 石井白峰
【選評】「降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男」を踏まえた。昭和の始めに詠まれた句だが、最近は「昭和は遠くなりにけり」という一節も眼にする。対して白峰さんは明治生まれの我はまだまだ元気と声を挙げる。
この句と選評とが楽しかったのでした。
ちょうど、最近読んだ萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」(岩波文庫)が気になっておりましたので、それと結びつけて、何か書きたくなりました。
中村草田男句集「長子」の目次は、春夏秋冬とわかれておりました。
その冬の部に「降る雪や明治は遠くなりにけり」がありました。
萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」の目次はというと、
「蕪村の俳句について」があり、それから春の部・夏の部・秋の部・冬の部。そして春風馬堤曲。さらに附録芭蕉私見と続きます。
さて、春の部の最初は
遅き日のつもりて遠き昔かな
その後に、萩原朔太郎は「蕪村の情緒。・・・特に彼の代表作と見るべきだろう。」とはじめておりました。つぎの句は、
春の暮家路に遠き人ばかり
また、まとまった句がつづくなかに
花に寝て我家遠き野道かな
というのもあります。ここに「遠き」という言葉があるんですね。
草田男の「遠く」と、蕪村の「遠き」をむすびつけたい私がおります。
蕪村の春の部には
閣(かく)に座して遠き蛙(かわず)をきく夜哉(かな)
これを朔太郎は
「『閣』というので、相応眺望の広い、見晴しの座敷を思わせる。情感深く、詩味に溢れた名句である。」と書いております。
ちなみに、蕪村の「春風馬堤曲」を萩原朔太郎は
「この長詩は、十数首の俳句と数聯の漢詩と、その中間をつなぐ連句とで構成されてる。こういう形式は全く珍しく、蕪村の独創になるものである。・・・」と書いております。その春風馬堤曲の最初の2行はこうはじまっておりました。
やぶ入りや浪花を出て長柄川
春風や堤長うして家遠し
こうくると室生犀星の「小景異情」から引用したくなるじゃありませんか。
ふるさとは
遠きにありて思ふもの
そしてかなしくうたふもの
よしやうらぶれて
異土の乞食(かたい)となるとても
かへるところにあるまじや
ひとり都の夕ぐれに
ふるさと思ひ涙ぐむ
その心もて
遠き都にかへらばや
遠き都にかへらばや
「遠く・遠き」連想でした。
降る雪や明治生れがまだ居るぞ 八王子市 石井白峰
【選評】「降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男」を踏まえた。昭和の始めに詠まれた句だが、最近は「昭和は遠くなりにけり」という一節も眼にする。対して白峰さんは明治生まれの我はまだまだ元気と声を挙げる。
この句と選評とが楽しかったのでした。
ちょうど、最近読んだ萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」(岩波文庫)が気になっておりましたので、それと結びつけて、何か書きたくなりました。
中村草田男句集「長子」の目次は、春夏秋冬とわかれておりました。
その冬の部に「降る雪や明治は遠くなりにけり」がありました。
萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」の目次はというと、
「蕪村の俳句について」があり、それから春の部・夏の部・秋の部・冬の部。そして春風馬堤曲。さらに附録芭蕉私見と続きます。
さて、春の部の最初は
遅き日のつもりて遠き昔かな
その後に、萩原朔太郎は「蕪村の情緒。・・・特に彼の代表作と見るべきだろう。」とはじめておりました。つぎの句は、
春の暮家路に遠き人ばかり
また、まとまった句がつづくなかに
花に寝て我家遠き野道かな
というのもあります。ここに「遠き」という言葉があるんですね。
草田男の「遠く」と、蕪村の「遠き」をむすびつけたい私がおります。
蕪村の春の部には
閣(かく)に座して遠き蛙(かわず)をきく夜哉(かな)
これを朔太郎は
「『閣』というので、相応眺望の広い、見晴しの座敷を思わせる。情感深く、詩味に溢れた名句である。」と書いております。
ちなみに、蕪村の「春風馬堤曲」を萩原朔太郎は
「この長詩は、十数首の俳句と数聯の漢詩と、その中間をつなぐ連句とで構成されてる。こういう形式は全く珍しく、蕪村の独創になるものである。・・・」と書いております。その春風馬堤曲の最初の2行はこうはじまっておりました。
やぶ入りや浪花を出て長柄川
春風や堤長うして家遠し
こうくると室生犀星の「小景異情」から引用したくなるじゃありませんか。
ふるさとは
遠きにありて思ふもの
そしてかなしくうたふもの
よしやうらぶれて
異土の乞食(かたい)となるとても
かへるところにあるまじや
ひとり都の夕ぐれに
ふるさと思ひ涙ぐむ
その心もて
遠き都にかへらばや
遠き都にかへらばや
「遠く・遠き」連想でした。