和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

古来読まれ。

2008-03-14 | Weblog
藤井貞和著「古文の読みかた」(岩波ジュニア新書)の最後の方。
第三章「古文を読む」の終わりの方に、「徒然草(試験問題から)」という箇所があります。
疑問を持つのは始まりですが、それに答える方にまわる、というのは何時の段階からなのでしょう?ここに、すっきりと答えている藤井さんがおります。
「どういう古文を読んだらいいか、という相談をよく受けます。だいじな相談です。読書には計画性ということがたいせつです。何でもいいから手あたりしだいに読む、というのでは、自由な読書というより、放恣(ほうし)な読書であって感心できません。秩序のない乱読は乱雑な文化人を生みだすだけです。そういう意味で、すぐれた古典入門書はと聞かれたら、古来読まれつづけてきた『徒然草』や『枕草子』を第一に挙げることにためらいはありません。試験問題に『徒然草』から多く出題されるのも、皆さんにいちばん読んでほしい古典であるからではないか、と思います。」(p202~203)

「乱雑な文化人を生みだすだけ」というのは、ここでは徒然草・枕草子を読んでいない文化人を生みだしているのだと指摘しているようにも読めます。

またこんな箇所もありました。

「『徒然草』は、古文を読みはじめてばかりの中学生にも、本格的に古文を勉強しようとしている高校生にも、すぐれた入門書として、ずっと読みつがれて来ました。古典の名にふさわしい書物とは、長く読まれつづけて、人生の意義をおしえ、また指針をあたえてくれるもののことでしょう。『徒然草』は古典のなかの古典です。」(p200)

こうして指摘してくれる先生を、あなたは、お持ちですか?
ああ、いないのでしたら、この本が参考になるかもしれません。

どうようのことは、
藤井貞和著「古典の読み方」(講談社学術文庫)のp44~48にもありました。
そのはじまりは「もし読者が社会人で、いま初心に返って古典を読もうとしているとしたら、・・・何といっても『徒然草』を第一に推す」。

ああ。また徒然草を読み返したくなるなあ。
何かもう、すっかり忘れてしまったような気がします。
コメント
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