和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

春寒く。

2008-03-10 | Weblog
大岡信著「百人百句」(講談社・2001年)には、
その頃健在だった鈴木真砂女さんが語られておりました。
その真砂女さんの巻頭句としてあげられていたのが

   春寒くこのわた塩に馴染みけり

鈴木真砂女さんは明治39年生まれ(1906~2003)でした。
そして、昭和32年から銀座で経営していた小料理屋「卯浪(うなみ)」も今年の2008年1月25日<閉店>したのでした。


大岡信氏は、「鈴木真砂女の句には料理の素材を扱った句が多い。」とまず指摘しておりました。そしてこう締めくくられておりました。「・・・生活感覚の新鮮さとは、生活してきたものを地道にしっかりと見つめて生きることからしか生じない。」

じつは、つい真砂女を思い浮べたのは、与謝蕪村の句からでした。
たとえば

   やぶ入(いり)の夢や小豆(あづき)の煮(にえ)るうち

《注》やぶ入り――奉公人が帰省を許される休日。
   一月十六日前後。

   命婦(みょうぶ)よりぼた餅たばす彼岸哉

 《注》命婦 ――五位以上の女官。
    たばす――賜わる。

蕪村の夏の句には、こんなのがあります。

   なれ過た鮓(すし)をあるじの遺恨哉

   鮓桶をこれへと樹下に床几哉

   鮓つけて誰待としもなき身哉

   鮒ずしや彦根が城に雲かかる

  
さてっと、萩原朔太郎著「郷愁の詩人 与謝蕪村」に一読忘れられない句があったのです。それも鮓(すし)が出てくるのでした。

   寂寞(じゃくまく)と昼間を鮓のなれ加減

この朔太郎の説明がふるっているのです。
「鮓は、それのスが醗酵するまで、静かに冷却して、暗所に慣らさねばならないのである。寂寞たる夏の白昼。万象の死んでいる沈黙の中で、暗い台所の一隅に、こうした鮓がならされているのである。・・・・とにかく、蕪村の如き昔の詩人が、季節季節の事物に対して、こうした鋭敏な感覚を持っていたことは、今日のイマジズムの詩人以上で、全く驚嘆する外はない。」(岩波文庫 p58)

この寂寞の句がですね。尾形仂校注「蕪村俳句集」(岩波文庫)に載っていないのでした。「蕪村俳句集」の最後の初句索引を見てもない。夏の部をめくってもない(笑)。素人の私にはわからないので、疑問はここまで、そのうちに分かるかもしれませんし。

そこで、私がつぎに興味の舵をとったのは、田中冬二の詩集「サングラスの蕪村」。
うんうん。蕪村を簡単に袖振り合う程度に、入門してから読むと楽しみがわかるのです。ということで、冬二のその詩集からすこし引用


詩作にウルトラシーを意識してはならない スタンドプレイも禁物だ


故人と道づれになつた
故人は途中 私を伴い菓子屋へ立ち寄り 私に菓子の一折を買つてくれた
  ――そんな夢を見た



以上。二個所引用しました。

鈴木真砂女。卯浪。与謝蕪村。そんな夢を見た。
昨夜も炬燵で寝ておりました。

コメント
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