和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

味噌汁を一口。

2010-08-01 | Weblog
「日暮硯」の「鳥籠」から、
司馬遼太郎の池波正太郎追悼へ。
そこから、「池波正太郎を読む」を注文。
そしたら、常盤新平著「池波正太郎を読む」と
もう一冊、歴史読本編集部の「池波正太郎を読む」とがあったのを、
間違えて、常盤新平氏の方を古本で注文してしまいました。
今日届いた、常盤新平著「池波正太郎を読む」をパラパラとめくっておりました。
歴史読本編集部の「池波正太郎を読む」は2010年7月発売となっているので、
こりゃまだ、古本にはなっておりません。
つい、こうして間違って注文をします。
でも、常盤さんの本、楽しめました。
こういう間違いも、ブログに書いていけばよいのだなあ。
と、思うこの頃。
そう、間違いがすなわち私。
うん、私を書き込めば、それでいい(笑)。


では、常盤さんが池波さんを引用した箇所。

「『人間という生きものは、苦悩・悲嘆・絶望の最中にあっても、そこへ、熱い味噌汁が出て来て一口すすりこみ、(あ、うまい)と感じるとき、われ知らず微笑が浮かび、生き甲斐をおぼえるようにできている。大事なのは、人間の躰にそなわった、その感覚を存続させて行くことだと私はおもう』(「私の正月」)これもまた、私のような読者を力づけ、はげましてくれる文章である。私は教えられるところが無数にあるから、池波さんを読んできた。それが楽しみにもなっているので、もったいない気がしている。」(p142)

常盤さんと池波さんとの対談も掲載されておりました。
そこんとこも、引用。


池波「戦争にいってきたからね、ぼくは。お国のためだと思って行った軍隊で失望して、それから、終戦のときに、ありとあらゆるジャーナリズムが手の平かえしたように変節しちゃったでしょ。これにはおどろいたね。このことが、よきにつけ、悪しきにつけ、ぼくの一生を決めてしまったようなものですね。世の中、もう何が起こっても不思議はない、ということを二十一歳のときから、身にしみてたたきこまれてしまったからね。ぼくの年代の人、みんな、そうじゃないかしら・・・。だから、ぼくは骨董とか絵とかそういうものを収集する趣味はないんですよ。やはりね、収集の空しさというものを、わかっちゃてるから。」(p126)

ちなみに、池波正太郎氏と司馬遼太郎氏とは、どちらも1923年生まれ。
どちらも、関東大震災の大正12年に生まれていたのでした。


さて、明日。
歴史読本編集部の「池波正太郎を読む」が新刊で届くはず。
コメント
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