和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

是等を手本とし。

2010-08-27 | 他生の縁
黒岩比佐子著「『食道楽』の人 村井弦斎」(岩波書店)。
まず、印象に残ったのは、「通俗平易に」という言葉でした。

「弦斎は自分の部下だった福良竹亭や篠田鉱造には、新聞記者としての取材のやり方や文章の書き方について、基本から徹底的に叩き込んだらしい。」

ここで、福良氏の回想を引用しております。以下福良氏の言葉から

「故村井弦斎先生は報知新聞の編集長として僕に初めて新聞の取材の方法、書方等を教へられた恩師である。先生の言はれるには新聞記者は路傍の一石一草と雖も取って以て材料となる注意力と観察力を養はねばならぬ、それに少くも百回以上の続物を休みなしに書く程の根気がなくてはならぬと。」

「村井氏は常に、新聞記者と云ふものはどんな難しい事柄でも、之を最も通俗平易に書き直す文才がなければならぬ、それが出来ないと云うのは、己に力が無いからである、新井白石の書いた書物は、難しい物でも実に平易に書いてある、是等を手本として、常に難しいものを平易に書くやうにしなければならぬ、殊に新聞記事と云うものは、事実を主とするのであるから、なるべく技巧を避けて、どんな人にも読まれるようにしなければならぬ、それ故雑報記事には形容詞なぞは無益であると常に主張して居られた、其為め形容詞を沢山入れた記事を書くと殆ど全部抹殺された。私が今日多少通俗的に平易な文章を書くことが出来るのは、全く村井氏の指導感化に負ふところが多い。」(p365)

「是等を手本として」として、新井白石の名前が登場しておりました。
ちなみに、p25では白楽天の名前が登場しておりました。
そこも引用しておきます。


「弦斎はどんなに難しい内容であっても、きわめて平易でわかりやすい言葉で書いた。長女の村井米子によれば、『文学というものは、お経のように、どんな無智なお婆さんの心にもしみるもの、誰にもよく解るものでなければならない』と彼は口癖のように語っていたという。
矢野龍渓もほとんど同じことを言っている。すなわち文章には二通りあって、一つは、内容はたいしたことがないのにわざとわかりにくく書く。もう一つは、内容の良さを大事にして字句はごく平易にと心がけて書く。白楽天などは後者で、自分の詩文を近隣の老媼(ろうおう)にまで理解できるようにつくったという。龍渓は『私などは平易主義で、白楽天流儀です』とはっきり述べている。このように、弦斎は様々な点で龍渓を受け継いでいる。」

うん。新井白石と白楽天がお手本なのですね。
よく、わかりました。

ところで、黒岩比佐子さんは、
今度の新刊で、堺利彦を取り上げると聞きます。
私が思い浮かぶのは、堺利彦著「文章速達法」ぐらい。
どんな、本になるのか楽しみ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする