「正論」2010年8月号の巻頭言は金美齢氏でした。
題して「自助精神なき『民意』に寄り添う政治家を疑え」。
たとえば、
「自助精神もなく、共助の気持ちもない者に人間としての信頼関係や絆は生まれない。国家と国民、親と子供、教師と生徒、あらゆる関係はそうした相互の『黙契』で成り立つものである。政治が社会に対して行う制度設計はそれを補うものでしかない。」(p37)
ところで、金美齢氏の巻頭言に魅力があったので、
それでは、と金美齢氏の本を何か読んでみようと思いました。
どれから、読んでよいのやら分からないので、とりあえず一冊。
「『おひとりさま』で幸せですか」(PHP)を購入してみました。
読みやすい。家族のことは難しいのでしょうが、竹を割ったような
明快さで書いておられるのでした。
以前の題名は「三家族11人で暮らしてみたら」を改題・改訂したものだそうです。
こんな箇所がありました。
「普段、家族の中で和気藹々と過ごすのはもちろんいいことだが、公私の区別がきちんとできなければ、その子が将来思わぬところで損をすることになる。
祖父母というのは、孫たちにとって荒波から保護してくれる入り江のようなもの。人生経験を積んでいるし、年齢も離れているので、困った事態に直面したときや大切な判断が必要なときに、身内でありながら事態を客観的に判断できる存在でもある。」(p146)
そういう祖父母にあたる金美齢さんは、この本をこうはじめておりました。
「私が、トランクを両手に持って、初めて羽田に降り立ったのは昭和34(1959)年春のことだった。以来、四十四年の年月が流れた。たった一人で台湾からやってきて、周英明と結婚して二人に、さらに娘と息子が生まれ、彼らがそれぞれ一家をなして、いまや五人目の孫が生まれようとしている。」(p18)
最後には、その娘さんとの対談も掲載されておりました。
そこからもちょっと引用。
母「中学生のときの家庭訪問で、私がいかにうるさくて厳しくて、自分がいかに調教されているか、延々と話してたわね。それを聞いていた先生が、『これだけ言えるなら、いいんじゃないですか?』って(笑)。・・・」
そして
子「・・でもいずれ、ママは何らかのかたちで世間に知られるようになったと思う。古今東西変わらない普遍的なことや、本質的なことを言えるのは、なかなかできないことだし、ものを知っているし、美人だし、とにかく勘とセンスがいい!」(p221)
題して「自助精神なき『民意』に寄り添う政治家を疑え」。
たとえば、
「自助精神もなく、共助の気持ちもない者に人間としての信頼関係や絆は生まれない。国家と国民、親と子供、教師と生徒、あらゆる関係はそうした相互の『黙契』で成り立つものである。政治が社会に対して行う制度設計はそれを補うものでしかない。」(p37)
ところで、金美齢氏の巻頭言に魅力があったので、
それでは、と金美齢氏の本を何か読んでみようと思いました。
どれから、読んでよいのやら分からないので、とりあえず一冊。
「『おひとりさま』で幸せですか」(PHP)を購入してみました。
読みやすい。家族のことは難しいのでしょうが、竹を割ったような
明快さで書いておられるのでした。
以前の題名は「三家族11人で暮らしてみたら」を改題・改訂したものだそうです。
こんな箇所がありました。
「普段、家族の中で和気藹々と過ごすのはもちろんいいことだが、公私の区別がきちんとできなければ、その子が将来思わぬところで損をすることになる。
祖父母というのは、孫たちにとって荒波から保護してくれる入り江のようなもの。人生経験を積んでいるし、年齢も離れているので、困った事態に直面したときや大切な判断が必要なときに、身内でありながら事態を客観的に判断できる存在でもある。」(p146)
そういう祖父母にあたる金美齢さんは、この本をこうはじめておりました。
「私が、トランクを両手に持って、初めて羽田に降り立ったのは昭和34(1959)年春のことだった。以来、四十四年の年月が流れた。たった一人で台湾からやってきて、周英明と結婚して二人に、さらに娘と息子が生まれ、彼らがそれぞれ一家をなして、いまや五人目の孫が生まれようとしている。」(p18)
最後には、その娘さんとの対談も掲載されておりました。
そこからもちょっと引用。
母「中学生のときの家庭訪問で、私がいかにうるさくて厳しくて、自分がいかに調教されているか、延々と話してたわね。それを聞いていた先生が、『これだけ言えるなら、いいんじゃないですか?』って(笑)。・・・」
そして
子「・・でもいずれ、ママは何らかのかたちで世間に知られるようになったと思う。古今東西変わらない普遍的なことや、本質的なことを言えるのは、なかなかできないことだし、ものを知っているし、美人だし、とにかく勘とセンスがいい!」(p221)