以前に雑誌などで、「無人島に行くとしたら、どういう一冊をもっていきますか?」などという質問で本を語ってもらうという特集があったのでした。そういえば、水木しげる著「ねぼけ人生」(ちくま文庫)に軍隊に入る際に雑嚢(ざつのう)に入れて南方まで持っていった本が語られておりました。
うん。ということは、さしあたり「あなたが戦争に行く際に持参する本とは?」というテーマにもなりそうです。もし、平和憲法があるにもかかわらず、相手から攻撃されいやおうなしに戦争にまきこまれてしまう惨事に見舞われた際に、あなたが戦地へと雑嚢に入れてゆく本は何ですか?水木氏はこうでした。
「そのうち、年齢も二十歳に近づき、戦争もきびしくなってきた。いつ召集になるかもしれない。そんな時、河合栄治郎編『学生と読書』という本に、エッケルマンの『ゲエテとの対話』という本が必読書としてあげられているのを知った。岩波文庫のこの本を買って読んでみると、はなはだ親しみやすく、人間とはこういうものであろうという感じがする。これで、ゲエテに関心を持ち、『ファウスト』や『ウィルヘルム・マイステル』や『イタリ―紀行』を読んだが、『ファウスト』は何回くりかえしみてもわからなかった。
僕には、むしろ、ゲエテ本人が面白く、だから『ゲエテとの対話』が好きなのだ。この本では、いろいろな人がゲエテ家に出入りし、それについてのゲエテの感想や生活ぶりがまるで劇でも見るようにうかがわれて楽しかった。後に軍隊に入る時も、岩波文庫で上中下三冊を雑嚢に入れて南方まで持っていった。
・ ・・・僕は、ゲエテのような生活がしてみたかったのである。・・・・
近所には、シラーという意見の合う友人がおり、家には、ヨーロッパ中の文化人が訪問してくる。時たま、ナポレオンなんかも戸をたたく。こんな生活を僕は空想して楽しんでいた。・・・ゲエテは、自然に関心があり、動物や植物の研究をしていたというので、僕も植物学の本を買って読んだし、また、ゲエテは、スピノザを尊敬していたので、僕も古本屋で『エティカ』を買ってきて読んだ。その他にも、『ゲエテとの対話』の中に出てくる詩人や作家のものは、気をつけていて読むようにした。ゲエテがシェイクスピアやモリエールを賞めるので、これも読み、ずっと後には、全集まで買った。『若きウェルテルの悩み』は、二回か三回読み、住んでいた甲子園口あたりの景色を勝手になぞらえてあてはめ、空想の中でゲエテになって散歩して楽しんでいた。・・・空想の散歩は楽しく、近くの別荘を見ると、これはシュタイン夫人の家、甲子園ホテルを見ると、これはワイマール公国大公夫人の家、などと考え、もはや、ワイマールが甲子園だか、甲子園がワイマールだかわからないほどだった。僕自身も小川を散歩する時は、完全にゲエテで、自分でも、僕なのかゲエテなのか定かでなかった。」(p76~78)
うん。そういえば、と足立倫行著「妖怪と歩く」(文藝春秋)をひらいてみました。
その第六章「さらなる探索」は、
「・・ゲーテ観はぜひとも聞いておきたかった。『私には師匠はいない』と公言している水木が、折に触れて引用するのがゲーテの言葉だった。戦争に行く前に岩波文庫の『ゲェテとの対話』(亀尾英四郎訳)を何回も読んで暗記してのだという。ゲーテの言葉だけではなく、その思想や生活を批判したり讃美したりすることも少なくなかった。・・・ゲーテはひょっとすると、水木にとって『人生の師』に近い存在ではあるまいかと思ったのである。」
こう足立倫行氏は書いております。
足立氏の本で、興味深い箇所を以下引用。
「『戦争が起こると自分の息子だけ戦場に出させまいとして、あれこれ工作したりね。晩年になって、詩作だけやっとればよかったとむやみに悔やんだりね。第一、エッカーマンに対して過酷でしょ?あれだけの仕事やらせときながら、給料も払わんのです。そのためにエッカーマンは、十何年も婚約者と結婚できんかったわけですからね』ゲーテがエッカーマンに対して冷淡だったことは多くのゲーテ研究書が指摘している。
エッカーマンは無給の助手だった。ゲーテは、連日訪れるエッカーマンが貧困の中で自分との対話録をつづっていることを知っており、しかもそれが自分にとって最後の記念碑的な傑作になるのを予想していながら、正規の秘書として採用しようとはしなかった。・・・『だから、ゲーテの生き方をそっくり真似する必要はないわけです。面白そうはところだけ参考にすればいい』水木は再び声を上げて笑った。・・・・文豪ゲーテの生涯のモットーは【急がず、しかし休まず】だった。」
うん。ということは、さしあたり「あなたが戦争に行く際に持参する本とは?」というテーマにもなりそうです。もし、平和憲法があるにもかかわらず、相手から攻撃されいやおうなしに戦争にまきこまれてしまう惨事に見舞われた際に、あなたが戦地へと雑嚢に入れてゆく本は何ですか?水木氏はこうでした。
「そのうち、年齢も二十歳に近づき、戦争もきびしくなってきた。いつ召集になるかもしれない。そんな時、河合栄治郎編『学生と読書』という本に、エッケルマンの『ゲエテとの対話』という本が必読書としてあげられているのを知った。岩波文庫のこの本を買って読んでみると、はなはだ親しみやすく、人間とはこういうものであろうという感じがする。これで、ゲエテに関心を持ち、『ファウスト』や『ウィルヘルム・マイステル』や『イタリ―紀行』を読んだが、『ファウスト』は何回くりかえしみてもわからなかった。
僕には、むしろ、ゲエテ本人が面白く、だから『ゲエテとの対話』が好きなのだ。この本では、いろいろな人がゲエテ家に出入りし、それについてのゲエテの感想や生活ぶりがまるで劇でも見るようにうかがわれて楽しかった。後に軍隊に入る時も、岩波文庫で上中下三冊を雑嚢に入れて南方まで持っていった。
・ ・・・僕は、ゲエテのような生活がしてみたかったのである。・・・・
近所には、シラーという意見の合う友人がおり、家には、ヨーロッパ中の文化人が訪問してくる。時たま、ナポレオンなんかも戸をたたく。こんな生活を僕は空想して楽しんでいた。・・・ゲエテは、自然に関心があり、動物や植物の研究をしていたというので、僕も植物学の本を買って読んだし、また、ゲエテは、スピノザを尊敬していたので、僕も古本屋で『エティカ』を買ってきて読んだ。その他にも、『ゲエテとの対話』の中に出てくる詩人や作家のものは、気をつけていて読むようにした。ゲエテがシェイクスピアやモリエールを賞めるので、これも読み、ずっと後には、全集まで買った。『若きウェルテルの悩み』は、二回か三回読み、住んでいた甲子園口あたりの景色を勝手になぞらえてあてはめ、空想の中でゲエテになって散歩して楽しんでいた。・・・空想の散歩は楽しく、近くの別荘を見ると、これはシュタイン夫人の家、甲子園ホテルを見ると、これはワイマール公国大公夫人の家、などと考え、もはや、ワイマールが甲子園だか、甲子園がワイマールだかわからないほどだった。僕自身も小川を散歩する時は、完全にゲエテで、自分でも、僕なのかゲエテなのか定かでなかった。」(p76~78)
うん。そういえば、と足立倫行著「妖怪と歩く」(文藝春秋)をひらいてみました。
その第六章「さらなる探索」は、
「・・ゲーテ観はぜひとも聞いておきたかった。『私には師匠はいない』と公言している水木が、折に触れて引用するのがゲーテの言葉だった。戦争に行く前に岩波文庫の『ゲェテとの対話』(亀尾英四郎訳)を何回も読んで暗記してのだという。ゲーテの言葉だけではなく、その思想や生活を批判したり讃美したりすることも少なくなかった。・・・ゲーテはひょっとすると、水木にとって『人生の師』に近い存在ではあるまいかと思ったのである。」
こう足立倫行氏は書いております。
足立氏の本で、興味深い箇所を以下引用。
「『戦争が起こると自分の息子だけ戦場に出させまいとして、あれこれ工作したりね。晩年になって、詩作だけやっとればよかったとむやみに悔やんだりね。第一、エッカーマンに対して過酷でしょ?あれだけの仕事やらせときながら、給料も払わんのです。そのためにエッカーマンは、十何年も婚約者と結婚できんかったわけですからね』ゲーテがエッカーマンに対して冷淡だったことは多くのゲーテ研究書が指摘している。
エッカーマンは無給の助手だった。ゲーテは、連日訪れるエッカーマンが貧困の中で自分との対話録をつづっていることを知っており、しかもそれが自分にとって最後の記念碑的な傑作になるのを予想していながら、正規の秘書として採用しようとはしなかった。・・・『だから、ゲーテの生き方をそっくり真似する必要はないわけです。面白そうはところだけ参考にすればいい』水木は再び声を上げて笑った。・・・・文豪ゲーテの生涯のモットーは【急がず、しかし休まず】だった。」