和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

大震災のあと。

2014-04-12 | 地震
山折哲雄著「義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ」(新潮選書)を、とりあえず、読み終える。

え~と、日本酒をコップ酒では、つい飲みすぎます。
と近頃思うのでした。ここはオチョコで飲みたい。
まあ、そんな感じで、この本の一章ずつをめくりました。
そうすると、オッチョコチョイな私は、
すこしズレた本の感想が浮かぶのでした(笑)。

以下に、それについて書きます。
この「義理と人情」が書かれたのは、
「月刊誌『波』2010年1月号~2011年6月号に連載された『長谷川伸と日本人』を加筆修正しました。」と本の最後にあります。

うん。間には、東日本大震災があったわけです。
ところで、本文に
「長谷川伸が作家としてデビューし、一本立ちしたのが大正十年代だった。出世作の『夜もすがら検校』が大正十三年(1924)の発表で、作者が四十歳のときだった。・・」(p76)とあります。
デビューから出世作までの間に、関東大震災がありました。
ついでに、ここも引用しておきます。

「そして大正十三年(1924)になって発表したのが出世作『夜もすがら検校』だった。ようやく文筆生活の自信をえたところで、同十四年に同新聞社を退社。そのころ、先輩記者である中里介山が『大菩薩峠』を同新聞に断続的に執筆していた。・・」(p43)


そういえば、岩波文庫の柳田国男著「木綿以前の事」の解説は益田勝実氏。
そこに、関東大震災にふれた箇所がありますので、引用。

1921年から23年までの三年間は、ジュネーブ駐在の期間が多かった。柳田国男が関東大震災の報に接するのは、ドイツ各地を旅行し、ロンドンへ到着して四日目の9月2日だった。・・・急遽アメリカ経由で帰国した。『ひどく破壊せられている状態をみて、こんなことはしておられないという気持になり、早速こちらから運動をおこして、本筋の学問のために起つという決心をした』(「故郷七十年」)と後年述懐しているが、その年の暮れに国際聯盟を辞したのだった。それからの柳田は、朝日新聞社編集局顧問として論説執筆者の一人となるが、主力を『本筋の学問』に傾注していく。・・・」(p305~306)

さてっと、次は新刊の
山折哲雄著「これを語りて日本人を戦慄せしめよ 柳田国男が言いたかったこと」(新潮選書)を、読む番。東日本大震災のあと書かれた本ですが、どのような展開となっているのか。関東大震災に触れる箇所があるのかどうか。一章ずつ、めくることにします。
そう。私が思う、こんな簡単なキーワードで、割り切れる本ではもとよりないでしょうから、新刊の内容に期待をしながら読むことにします(笑)。
コメント
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