外山滋比古著「乱読のセレンディピティ」(扶桑社)に
「もっともおもしろい読書法」(p18~19)があり、
印象深いので引用。
短いのでほとんど引用しましょう。
「ひとの意見によることもなく
自分の判断で本を選び、自分のカネで買う。
買った以上、読む義務のようなものが生じやすいが、
読んでみて、これはいけない、と思ったら、
読みかけでもさっさと放り出す。
いかにも乱暴のようだが、いやな本を読んでも
得るところは少ない。放り出してから、
どうして読み終えられなかったのか
ということを反省する。
手当たり次第、本を買って、読む。
読めないものは投げ出す。
身ゼニを切って買ったものだ。
どうしようと、自由である。
本に義理立てして読破、読了していれば、
もの知りにはなるだろうが、
知的個性はだんだん小さくなる。
新刊は新しすぎる。古本は古い。
ちょうど読みごろの出版後五、六年
という本は手に入れることもままならない。
図書館はここで役に立つ。・・・・・・
軽い好奇心につられて読む。乱読である。
本の少ない昔は考えにくいことだが、
本があふれるいまの時代、
もっともおもしろい読書法は乱読である。
・ ・・乱読がよろしい。
読み捨てても決して本をバカにしての
ことではない。かりそめの読者がしばしば
大きなものを読みとる。」
うん。本を最後まで読めなかったと、
クヨクヨするのは、もうやめよう(笑)。
「もっともおもしろい読書法」(p18~19)があり、
印象深いので引用。
短いのでほとんど引用しましょう。
「ひとの意見によることもなく
自分の判断で本を選び、自分のカネで買う。
買った以上、読む義務のようなものが生じやすいが、
読んでみて、これはいけない、と思ったら、
読みかけでもさっさと放り出す。
いかにも乱暴のようだが、いやな本を読んでも
得るところは少ない。放り出してから、
どうして読み終えられなかったのか
ということを反省する。
手当たり次第、本を買って、読む。
読めないものは投げ出す。
身ゼニを切って買ったものだ。
どうしようと、自由である。
本に義理立てして読破、読了していれば、
もの知りにはなるだろうが、
知的個性はだんだん小さくなる。
新刊は新しすぎる。古本は古い。
ちょうど読みごろの出版後五、六年
という本は手に入れることもままならない。
図書館はここで役に立つ。・・・・・・
軽い好奇心につられて読む。乱読である。
本の少ない昔は考えにくいことだが、
本があふれるいまの時代、
もっともおもしろい読書法は乱読である。
・ ・・乱読がよろしい。
読み捨てても決して本をバカにしての
ことではない。かりそめの読者がしばしば
大きなものを読みとる。」
うん。本を最後まで読めなかったと、
クヨクヨするのは、もうやめよう(笑)。