外山滋比古著「乱読のセレンディピティ」(扶桑社)に
イギリスの有力書評誌「タイムズ文芸批評」が、
25年前の誌面を再現して見せてくれたことへ、
言及した箇所があります(p149~)。
「たった25年であるのに、
もとの書評のほとんどが
正当性を欠いていることが明らかにされた。
25年でさえ、同時代批評は
のり越えることができないのである。
近いということは、
ものごとを正しく見定めるには
不都合なのである。
近いものほどよくわかる
ように考えるのは、
一般的な思い込みである。
自分のことがいちばんわかる
と思っているが、実は、
もっともわからない。
近いからよくわかっているように
考えているが、やはり、
本当のことは見えない。・・
さきの『タイムズ文芸批評』は
勇気ある企画によって、
25年たつと、批評が質的に
変化することを見せつけることができる。」
さてっと、
そういえば、と思って
谷沢永一の「新聞書評に頼らないで、10冊」
という文を探すことに、それは
谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版社)に
ありました(p152~155)。
そこで、新聞書評について、
こんな箇所があるのでした。
「採択される書物の資格の第二は、
斬れば血の出るような現実社会のおける
喫緊の問題とは完全に無縁であることです。
それゆえ私がここに挙げた述作のほとんどに
ついて眉を顰めながら遠ざけられる結果となったのです。
これらの書物は多かれ少なかれ現実問題を
めぐっての突っこんだ観察です。
つまり事態の意味するところの枢要を
鋭く解剖しています。
当然のこと大胆な未来予測を含み、
ときには常識に反する積極的な
提案に及ぶわけです。
考えてみれば、なんとも
恐怖(おっかな)い本ではありませんか。
こういう書物を月旦するためには、
まず、政治経済と国際関係をめぐって
の問題意識が欠かせません。
次いでは、著者の論調に対して
評者は自分独自の見識をもって対決し、
示されている立論の当否について
責任のある判断をくださねばなりません。
そんな辛労(しんど)い危険なことに
誰が進んで手をだすものですか。
いずれにせよ労多くして功すくない
難儀な方向は御免でしょう。
したがって、書評欄の多くは、
天下国家の問題に接触しない
趣味的な本ばかり並ぶ結果となります。
思えば人情の然からしむるところでは
ありませんか。・・・
新聞とテレビは常識の世界です。
そして常識は時として嘘をつきます。」
ここで取り上げられた10冊10人については
ここではカット(笑)。
それよりも、
この「新聞書評に頼らないで、10冊」を探して、
谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版社)の前に、
手に取った本は
谷沢永一著「読書人の蹣跚(まんさん)」(潮出版社)でした。
すると、アレレ、こんなのが読めました。
「出しゃばらぬを以て尊しとす 六十歳代を生きる智恵」(p81~91)。
ここに、満六十一歳で関西大学を辞めたことが書かれております。
そこからも引用。
「第一に、私は講義に倦んで厭いた。・・・
現代に講義は不要である。明治大正のころ、
一般学生が原書や学術書にたやすく接しられない時代、
その飢渇をおぎなうのが講義であった。
今は条件がまったく異なる。
図書館や店頭で容易に閲覧入手できる書物と、
同じような似たような談論を、
くりかえす必要はないだろう。・・
第二に、会田雄次先生の述懐がこたえた。
よく戯れの質問に、もし人生をやりなおすと
すれば、お前は何歳にもどしてほしいか、
というのがある。京都たん熊で対談のあと、
願わくはもういちど六十代にかえしてほしいな、
と会田先生が言った。六十代、
あの頃いちばん張りがあったからなあ。
私はちょっと色めきたった。・・
第三に、司馬遼太郎さんがトドメをさした。・・
六十歳をもって思いをあらたにしつつあった
半年後、開高健が死去した。・・・」
うん。色めきのセレンディピティ(笑)。
イギリスの有力書評誌「タイムズ文芸批評」が、
25年前の誌面を再現して見せてくれたことへ、
言及した箇所があります(p149~)。
「たった25年であるのに、
もとの書評のほとんどが
正当性を欠いていることが明らかにされた。
25年でさえ、同時代批評は
のり越えることができないのである。
近いということは、
ものごとを正しく見定めるには
不都合なのである。
近いものほどよくわかる
ように考えるのは、
一般的な思い込みである。
自分のことがいちばんわかる
と思っているが、実は、
もっともわからない。
近いからよくわかっているように
考えているが、やはり、
本当のことは見えない。・・
さきの『タイムズ文芸批評』は
勇気ある企画によって、
25年たつと、批評が質的に
変化することを見せつけることができる。」
さてっと、
そういえば、と思って
谷沢永一の「新聞書評に頼らないで、10冊」
という文を探すことに、それは
谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版社)に
ありました(p152~155)。
そこで、新聞書評について、
こんな箇所があるのでした。
「採択される書物の資格の第二は、
斬れば血の出るような現実社会のおける
喫緊の問題とは完全に無縁であることです。
それゆえ私がここに挙げた述作のほとんどに
ついて眉を顰めながら遠ざけられる結果となったのです。
これらの書物は多かれ少なかれ現実問題を
めぐっての突っこんだ観察です。
つまり事態の意味するところの枢要を
鋭く解剖しています。
当然のこと大胆な未来予測を含み、
ときには常識に反する積極的な
提案に及ぶわけです。
考えてみれば、なんとも
恐怖(おっかな)い本ではありませんか。
こういう書物を月旦するためには、
まず、政治経済と国際関係をめぐって
の問題意識が欠かせません。
次いでは、著者の論調に対して
評者は自分独自の見識をもって対決し、
示されている立論の当否について
責任のある判断をくださねばなりません。
そんな辛労(しんど)い危険なことに
誰が進んで手をだすものですか。
いずれにせよ労多くして功すくない
難儀な方向は御免でしょう。
したがって、書評欄の多くは、
天下国家の問題に接触しない
趣味的な本ばかり並ぶ結果となります。
思えば人情の然からしむるところでは
ありませんか。・・・
新聞とテレビは常識の世界です。
そして常識は時として嘘をつきます。」
ここで取り上げられた10冊10人については
ここではカット(笑)。
それよりも、
この「新聞書評に頼らないで、10冊」を探して、
谷沢永一著「読書人の点燈」(潮出版社)の前に、
手に取った本は
谷沢永一著「読書人の蹣跚(まんさん)」(潮出版社)でした。
すると、アレレ、こんなのが読めました。
「出しゃばらぬを以て尊しとす 六十歳代を生きる智恵」(p81~91)。
ここに、満六十一歳で関西大学を辞めたことが書かれております。
そこからも引用。
「第一に、私は講義に倦んで厭いた。・・・
現代に講義は不要である。明治大正のころ、
一般学生が原書や学術書にたやすく接しられない時代、
その飢渇をおぎなうのが講義であった。
今は条件がまったく異なる。
図書館や店頭で容易に閲覧入手できる書物と、
同じような似たような談論を、
くりかえす必要はないだろう。・・
第二に、会田雄次先生の述懐がこたえた。
よく戯れの質問に、もし人生をやりなおすと
すれば、お前は何歳にもどしてほしいか、
というのがある。京都たん熊で対談のあと、
願わくはもういちど六十代にかえしてほしいな、
と会田先生が言った。六十代、
あの頃いちばん張りがあったからなあ。
私はちょっと色めきたった。・・
第三に、司馬遼太郎さんがトドメをさした。・・
六十歳をもって思いをあらたにしつつあった
半年後、開高健が死去した。・・・」
うん。色めきのセレンディピティ(笑)。