和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

もっと高く。

2014-04-26 | 詩歌
林望著「ホーソンの樹の下で」(文藝春秋)は、
雑誌「諸君!」に1995年8月号~1997年7月号と
連載されたもの。
ちょっと本文は読む気にならない(笑)。
それでも、気になったのは「書後に」という文でした。
はじまりは

「いつのまにか、日本の『文学』は、
小説ということと同義になってしまったのは、
甚だ遺憾なことだと言わねばならない。
それは、ひとえに近代、いや戦後現代の悪風潮であって、
文学の歴史を古く辿っていくと日本の文学が
決してそのような狭量なものではなかった
ことが検証せられるであろう。
たとえば、『土佐日記』というものは、
虚構的ではあるが、日記文学というジャンルの
輝かしい金字塔であった。・・・・
たとえばまた、『枕草子』は、清原家の才女に
よって書かれた日記のような随筆のような
ものであるが、これまた、小説とは毫も
関係のない作品であるにもかかわらず、
日本文学史上突兀たる高峰とした聳え
立っていることは、世界の常識にほかならない。
そういう流れのなかに長明の『方丈記』が書かれ、
やがて、随筆文学の第一流たる吉田の法師の
『徒然草』が現れた。そういうものを
随筆文学と称して、歴とした『文学』の
一分野と認めてきたのが、わが国の文学の
寛闊なる歴史の現実であった。
しかるに、戦後は、文学と言えば直ちに
『小説』を指すもののごとく、
異常なる小説偏重が現れ、
今に是正されない。そのどこに起因するか、
私はいまだよくも弁えないけれど、ともかく、
その事実は、日本の文学の常識からは遠く外れた、
異常な状態なのだということは、よくよく
認めておかなくてはなるまい。・・・」(p247~248)

この旗印はいいなあ、
私など、肩肘張って「小説」を読まないと
受け答えしていたのが、氷解するようで、
なにやら、ホッと溜息をつきたくなります。
この旗印は、もっと、もっと
高く打ち上げていいのだ。

ということで、
「ことだま百選」(講談社)の25番目に
黒田三郎の詩「紙風船」があったので
それを引用。

  落ちてきたら
  今度は
  もっと高く
  もっともっと高く
  何度でも
  打ち上げよう
  美しい
  願いごとのように
コメント
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