和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

生活第一、信仰第二。

2014-04-17 | 地震
東日本大震災のあとに、
方丈記を読み、
それから一遍へとたどって、
そこまでの、私の読書でした。

さてっと、山折哲雄著
「これを語りて日本人を戦慄せしめよ
柳田国男が言いたかったこと」(新潮選書)
を昨日半分ほど読んだところです。
その第三章「偉大なる人間苦」に
こんな箇所が出てくるのでした。

「柳田がその論述のいたるところで
もちだしているのが、『空也上人』と
『一遍上人』であり、その門流のあいだで
保持されつづけていた
『生活第一、信仰第二』の多彩な事業である。
日本列島ヒジリ史の原型を形づくった
真の主人公こそ、空也と一遍だったと
いってはばからない。
その議論の出発点に、亡霊と鎮魂、
葬送と勧進の事業がつねに位置づけ
られているのである。」(p81)

「柳田国男のいう『半僧半俗』は、
親鸞の生き方を象徴する『非僧非俗』と
真向から対立する概念だったというほかはない。
・ ・・・・・
おそらくかれは、親鸞という存在をつよく
意識していたのだったと思う。
本山本寺の異常な繁栄ぶり、その貴族ぶるまい
のあり方にある種の反撥心を抱いていたからだとも思う。
十三世紀の親鸞の流れをくむ十五世紀の蓮如の存在を通して、
大きな発展をとげた本願寺教団の存在にたいして、
一つの大きな問いを投げかけようと
していたのではないだろうか。」(p82)

うん。
「これを語りて日本人を戦慄せしめよ」は
私は、半分しか読んでいないのでした(笑)。
コメント
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