和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ボーイ・ソプラノで謡曲。

2020-01-24 | 京都
松田道雄著「京の町かどから」(昭和37年)。
この本に「わらべうた」と題する文がある。
そこから引用。

「高野辰之編『日本歌謡集成』の巻12には
俚謡があつめられ、京都の部には童謡として、
かなりたくさんの歌がのせられている。
 ・・・・・・
『日本歌謡集成』をみていると京都の童謡は
文学的にもほかにくらべて洗練されている。
その京都に民謡というものがない。
・・・・・・・
京都のおとなは、
15世紀にはもう猿楽能を知っていたのだ。
京都は、自己の民謡をもつ一地方ではなく、
全国の芸能がそこに集まって洗練される舞台であった。

各地の民謡にあたるものを京都でも
もとめるならば謡曲である。

農村の人たちが、自分の郷土の民謡をうたえるように、
中京の商人たちは、みんな謡曲がうたえた。

東国人の子である私が、
清さんだの長やんだのと
あそびはじめて気がついたのは、
彼らが、『16(いちろく)』だとか、
『38(さんぱち)』だとかいって、
そういう数字がつく日には、
あそびにやってこないことであった。

彼らは、その日は『うたい』のけいこに
いかなければならなかったのである。

私の家の4,5軒しもに床屋さんがあって、
その奥の二階に『うたい』の先生がいて、
午後によく朗々とうたっているのがきこえた。

それからずっとあとになってからだけれども、
隣家の裃(かみしも)屋さんの若主人も、
よく謡曲のけいこをしていた。

小学校へあがって、学芸会があると、
かならず謡曲と仕舞とがあった。
ボーイ・ソプラノでやる謡曲は、
なかなかいいものであった。」
(p104~106)

この松田道雄氏は、1908年茨城県生まれ。
ちなみに、
今西錦司は、1902年1月生まれ。
西堀榮三郎は、1903年1月生まれ。
どちらも、京都です。
さてっと、
1920年生まれの梅棹忠夫は、
ある京都弁で語る講演で

「京ことばも、やはり訓練のたまものやと
おもいます。発声法からはじまって、
どういうときには、どういうもののいいかたをするのか、
挨拶から応対までを、いちいちやかましくいわれたもんどした。

とくに中京(かなぎょう)・西陣はきびしゅうて、
よそからきたひとは、これでまず往生しやはります。
口をひらけば、いっぺんに、いなかもんやと
バレてしまうわけどっさかい。
そもそも、京ことばは発音がむつかしゅうて、
ちょっとぐらいまねしても、よっぽどしっかりした
訓練をうけへなんだら、でけしまへん。
・・・・」
(p221・「梅棹忠夫の京都案内」)

ちなみに、
「梅棹忠夫の京都案内」(角川選書)に
「書評 松田道雄著『京の町かどから』」
(p163~165)があるのでした。
その書評から、ここを引用。

「松田さんは・・・医院を開業する
小児科のお医者さんである。松田さんは、
きっすいの京都人かとおもっていたが
この本によると、ご両親とも茨城のひとで、
家庭では関東文化だったようだ。
松田さんはいわば帰化京都人で、
それだけに土着の京都人や
完全な他国人ではおもいもおよばぬような、
京都文化に関するおもしろい観察ないしは考察が、
この本にはたくさんふくまれている。

京都に関する本はずいぶんでたが、この本には、
京都の市民生活のずっと深部にまでふれている
という点で、たしかに特異な本である。

ありきたりの京都観とはずいぶんちがうかもしれないが、
京都市民の立場からいえば、松田さんは
ひじょうな正確さで真相をつたえている。」(p164)

『ひじょうな正確さ』といえば、
わたしには、
『ボーイ・ソプラノでやる謡曲は、
 かなかいいものであった。』
というのがいいなあ(笑)。
思わず、聞きたくなる。




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