高橋美智子著「京のわらべ歌 あんなのかぼちゃ」。
うん。汲めど尽きせぬ。そんな味わいの一冊なので、
もうちょっと、この本からの引用をしてみます(笑)。
三浦隆夫の文による「京都ことわざ散歩」も
「京のわらべ歌 あんなのかぼちゃ」と同じ
京都新聞社より出ておりました。
その「京都ことわざ」のなかに、
こんな箇所がありました。
「京のものに寺を見せると
講釈が多くてシラけてしまうものだ。
京都府のお寺はざっと三千、
愛知県の四千八百には及ばないが
京都は本山が多いのが特色。
国宝は全国の25%で一位
(以下東京、奈良、大阪、滋賀の順)。
特別名勝は全国28件のうち11件が京都。
・・・」(p66)
さて、そのお寺の京都の話を
「四季の京わらべ歌」から引用。
p26~27に「坊さんが へをこいた」
とあります。
坊(ぼん)さんが へをこいた
においだら くさかった
(または)たいへんに くさかった
「遊びの中で、速く数を数えたい時、
わたしたちは『ぼんさんがへをこいた』を、
早口でとなえました。『においだらくさかった』を
つけ加えると、二十まで数えられます。・・・・」
さて、高橋美智子さんの、このわらべ歌への
解説を、あらためて紹介することにします。
「わらべ歌の主人公には、子どもたちの
暮らしの中で大へん身近な、しかも
興味のあるものが登場します。
京に多きものは寺。
なにしろ各宗派の本山がそろっている
のですから、当然と言えましょうし、
したがって坊さんの数も大へん多く、
坊さんは京わらべにとって、
見慣れた身近な存在でした。
お坊さんと呼ぶのは少し大きくなってからで、
小さいころはもっぱら『ぼんさん』でした。
もっとも京都のほかにも、坊さんをうたった
わらべ歌はあります。でも、
京都のわらべ歌に登場する『ぼんさん』が、
一ばん生き生きとしたイメージを、子どもたちの
頭に植えつけているように思います。」
うん。
生き生きとした『ぼんさん』のイメージ。
ここからなら、無味無臭の経本の活字が
生き生きとしてくるかもしれないなあ(笑)。
たとえば、仏教讃歌集・和讃などを
ここからなら、読みはじめられる気がします。
ということで、取り出したのは
武石彰夫著「精選 仏教讃歌集」(佼成出版社)。
その、「はじめに」には、こうありました。
「仏教が日本人の精神に受容されるとともに、
日本語の讃歌として讃嘆、和讃が生まれ、
法会の歌謡として教化、訓伽陀が生まれて、
仏教は完全に日本人の心の奥に育っていったのである。
とくに、和讃は、広く民衆信仰のなかに下降し、
芸能にも影響を与え、また、
念仏讃や民謡とも交わりながら、
国内各地に広まったが、とくに講と密着した。
・・・・巡礼に出て巡礼歌を耳にし、
みずから歌って仏に捧げる例も多い。・・・
だが残念なことは、広く一般の方々にとって、
これらの仏教讃歌は縁遠く、また
気軽に読める本も見当たらない。・・・・・
・・・・・
讃歌は、もともと歌謡(うた)であるから、
朗唱されるのもよく、また、
詩として味わうのもよい。・・・」
うん。この機会に、
この武石彰夫氏の入門書を、
最後まで、読んでみることに。
途中で、つまづいたら
そういう時こそ、とっておきの
坊さんが へをこいた
においだら くさかった
と、口ずさんでみることに(笑)。