京都新聞社(1998年)の高橋美智子著
「四季の京わらべ歌 あんなのかぼちゃ」。
うん。これを読めてよかった(笑)。
さて、この本のなかに「雪やこんこ」と題した
2頁の文(p34~35)があります。
まずは、そこから引用。
「京のわらべ歌は華やかで、
きれいに整いすぎているという
印象を人に与えるようですが、
これは、香り高い貴族文化を
先がけに生まれた歌だからといえましょう。
庶民たちの間にも、
おのずから都人としての感覚が、
さまざまな機会に磨き上げられた
のだと思います。
足もとからしんしんと冷える日は、
きまって強い風が通りを吹きぬけます。
『いや、雪おこしの風や。
今夜あたり雪になるのとちがうやろか』
そんな夜ふけには、きっと
白いものが京の町に舞います。」(p35)
さてさて(笑)。つぎは、吉田兼好。
「徒然草」のなかに童謡をとりあげた
箇所があります。ここは
沼波瓊音著「徒然草講話」から、
「評」と「訳」とを引用。
それは、徒然草の第181段です。
まずは、評釈を引用。
「この段を見ても、いかに兼好が、
日常の見聞にも注意を拂ったかがわかる。童謡、
なる程こういうものは兼好の好きそうなものだ。
解釈もし、考証もするのだ。
徳川時代は知らず、この時代に、
童謡の解釈などいう事は、珍しいものであろう。」
つぎに、徒然草第181段。
その沼波瓊音による訳。
「子供が雪の降る時に、
『降れ降れこ雪たんばのこ雪』とはやすが、
あの『こ雪』というのは、
米を搗いて篩(ふる)う時のように雪が降るので、
『粉雪』というのである。
『たんばのこ雪』というのは、
『溜まれ粉雪』というのが正しいのを、
訛(なま)って『たんばの』というのである。
或物知りが、そのあとは
『垣や木のまたに』という文句だといった。
この童謡は、昔からいったものと見えて、
鳥羽天皇が御幼少の時に、
雪が降った時、『降れ降れこ雪』と
おうたひになったということが、
讃岐典侍日記に出て居る。」
はい。
高橋美智子さんの、この本をひらいていると、
だんだんと、この人は、吉田兼好の直系の
お弟子さんじゃないかと思えてくる不思議(笑)。
うん。せっかくの機会なので
この第181段の原文も引用。
「『降れ降れ粉雪、たんばの粉雪』といふ事、
米搗(よねつ)き篩ひたるに似たれば、粉雪といふ。
『たンまれ粉雪』と言ふべきを、誤りて
『たんばの』と言ふなり。
『垣や木の股に』と謡(うた)ふべし」と、
或物知り申しき。
昔より言ひける事にや。
鳥羽院幼くおはしまして、
雪の降るにかく仰せられける由、
讃岐典侍(さぬきのすけ)が日記に書きたり。」
(岩波文庫「徒然草」より引用)