安い古本で、京都と名がつけば、
自然と、触手が動きます(笑)。
さてっと、昨日届いた古本に
「花ふたり 京都いけばなの四季」(婦人画報社)
桑原山渓・桑原素子の写真集がありました。300円(笑)。
どこから、はじめましょう。私の
家の仏壇の飾りは、造花です。
それはそうと、宮本常一著
「私の日本地図14 京都」(未来社)に
六角堂をとりあげた箇所があります。
はじまりは
「京都の六角堂の話は、幼少の頃から
誰に聞くともなく多くの人から聞かされていた。
その一つはここが西国三十三番の第十八番の札所
だったことである。・・巡拝した経験のないものでも
その名を皆知っており、また寺々の詠歌をおぼえている
人も少なくなかった。・・・・」(p112)
うん。ここからはじめると長くなる(笑)。
その先に、こんな箇所がありました。
「六角堂は伝説によると聖徳太子が
創建したものであるという。この寺の
20世の住持専慶は山野をあるいて
立花(りっか)を愛し、立花の秘密を
本尊から霊夢によって授けられ、
26世専順はその奥義をきわめた。
堂のほとりに池があったので、
この流派を池坊(いけのぼう)とよび、
足利義政から華道家元の号を与えられたという。
すなわち生花の池坊はこの寺からおこったのである。
もともと仏前への供花から花道は発展していった
もののようで、とくに7月7日の七夕には星に花を供える
儀礼が鎌倉時代からおこり、
室町の頃から隆盛をきわめ、
『都名所図会』には
『都鄙の門人万丈に集り、
立花の工をあらわすなり。
見物の諸人、群をなせり』とある。
このように立花は
後には次第に人がこれを見て
たのしむようになってきたのである。
しかし順礼としてこの寺にまいる人たちと
立花をたのしむ人たちの間には
大したつながりはなかったようで、
おばあさんの口からも立花の話は
あまり聞けなかった。
それよりも『へそ石はよく見ていきなさい』
と店を出るときも言われた。そのへそ石は
通用門を入った敷石道の真中にあった。
・・・・」(p118~119)
今回手にした写真集は、
その池坊から派生した流派の方のようです。
室内で撮られた生花もありますが、
私に興味深かったのは、
神社仏閣の中に置かれた立花の写真でした。
上賀茂神社立て砂の前の立花。
伏見稲荷大社の、吊り花。
南禅寺山門の、投入り二瓶飾り。
清水寺本堂の、立花。
・・・・・・
ひょっとすると、紅葉をめでながら、
神社仏閣を散策するよりも
心が研ぎ澄まされるような写真と
なっておりました。
そうそう、梶井基次郎が
本の上に、そっとレモンを置くような
そんな緊張感とでもいえばよいでしょうか(笑)。
さてっと、
この写真集については、まだまだ
紹介したいことがあるのでした。
それらは、次回に(笑)。