和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

生花の京都。

2020-01-19 | 京都
写真集「花ふたり」(婦人画報社)は、
生け花の写真だけではなく、文章もくわわって、
味わい深い一冊となっておりました。

うん。ふつう写真集というのは、いちど見れば、
そのまま本棚に眠ってしまいやすいものです
(あくまで、私の経験です)。

まえがきにあたる文に
桑原仙渓氏は『風土』と題して書いております。
日付は1991年11月とある。
文のはじまりは

「『花ふたり』は、昨年七月から今年の六月まで
一年間いけ続けた私達の鋏の記録である。
・・・・・・・
私達のいけ花は、京都という風土、
すなわち一つの社会とそれを取りまいている
空間と自然によって作り上げられてある。

私達は本も読むし、発達した情報機関の
お陰で多くの知識も得ている。
だがその知識もいけ花という形をとるときには、
必ず京都という風土に濾過されているようである。
花をいける者にとって、住む土地は大切なものである。
 ・・・・・・

この本を作りながら流祖冨春軒の
『立花時勢粧(りっかいまようすがた)』や
先代の『桑原専渓の立花』『専渓立花百事』を
読み通していると、そこには
まぎれもない京都が横たわっている。
  ・・・・
京都にも嫌な面はたくさんある。
だが私達は京都が好きなのである。
 ・・・・ 」

うん。立花の写真集のまえがきで
「京都にも嫌な面はたくさんある。」と
言葉で示すこと。そのあとに
解き放たれたようにして、生け花の写真が
並んでいる壮観(笑)。
その写真集にはさまれるようにして、
文が置かれているのですが、
私には、風土と花が喋り出すのを、
待って、書き留められているように、
そんなふうに、思えてくるから不思議。

ちなみに、「鋏(はさみ)の記録」という言葉が
私には面白かった。
鋏といえば、この頃、新聞を見ても
切り取ることがなくなりました。
今日日曜日の産経新聞は
産経抄に谷沢永一氏の名前が登場していたし、
門田隆将の連載「新聞という病」も、簡潔で鮮やか。
一面左上も読めてよかった。
でも、最近、新聞の切り抜きをしていない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする