板坂元著「続考える技術・書く技術」(講談社現代新書)の
第6章「心がけ」から、この前は「尾崎紅葉」の引用を孫引きしました。
そこには、ちゃんと、内田魯庵著「思い出す人々」から引用したとある。
そして、板坂氏は、その引用をしたあとにこう書いて締めくくっている。
「 書いた文章を読んでくれる人に対するエチケットとしても、
情報収集に執念を燃やすことは、基本的な態度なのである。」(p166)
はい。エチケットですね。ということで、
内田魯庵著「新編 思い出す人々」(岩波文庫・1994年)をひらくことに。
ありました。「紅葉と最後の会見 世間に伝わざる逸事」という小見出し。
ちょいと、板坂元氏の引用から漏れているけど印象的な箇所を
ピックアップしてみます。魯庵との対話のなかに、こんな箇所がありました。
「・・・『 顔だけ見ているとそうでもないが、裸体になると骸骨だ。
股(もも)なんか天秤棒ぐらいしかない。能く立ってられると思う。』
と大学で癌と鑑定された顛末を他人の咄のように静かに沈着いて話して、
『人間も地獄のお迎えが門口に待っているようになっちゃ最うおあいだだ。
所詮(どうせ)死ぬなら羊羹でも、天麩羅でも、思うさま食ってやれと
棄鉢(すてばち)になっても、流動物ほか通らんのだから、
喰意地(くいいじ)が張るばかりでカラキシ意気地はない。
まア餓鬼だナア!』
と、淋しい微笑を浮かべた。・・・・・・・ 」(p237)
うん。もうすこし引用させてください。
「余り余裕のない懐(ふとこ)ろから百何十円を支払って
大事典を買うというのは知識に渇する心持の尋常でなかった
事が想像される。あるいは最後の床の上で『ノートル・ダーム』
の翻訳を推敲していたからであったかも知れない・・ 」(p241)
はい。魯庵のこの文の最後を引用しておくことに。
「・・・実は紅葉のために常に苦言を反覆したのは
畢竟(ひっきょう)紅葉の才の凡ならざるを惜しんで
玉成したかったためであるが、これがために紅葉から
含まれて心にもなく仲違(なかたが)いするようになった。
が、瀕死の瀬戸際に臨んでも少しも挫けなかった知識の
向上慾の盛んなるには推服せざるを得なかった。
紅葉の真に文豪の器であって決してただの才人ではなかった。 」(p242)
はい。ここでいうエチケットに反するかもしれませんが、
私は尾崎紅葉・内田魯庵のどちらも読まないだろうなあ。
ということで、私の情報収集能力はここまでとなります。