新聞を開き、そこに古典が紹介されていたりすると、
何だか、得した気分になるのは、私だけでしょうか?
産経新聞2024年2月29日(木)のオピニオン欄『正論』は、
平川祐弘氏で、題が「与謝野晶子を作った『源氏物語』」。
はい。一読楽しくなったので引用を試みることに。
「『みだれ髪』を出版、世間を驚かせた。・・・
晶子の歌には原色のフォーヴの油絵のどぎつさがあった。・・
三ヶ島葭子(明治19-昭和2年)の歌は水彩画のすなおさだ。・・
女流歌人は次々とデビューした。だが誰も
晶子のようには論壇で長く活躍できなかった。
なぜか。違いは晶子には古典の教養が血肉化していたことで、
そのために次々と新しい生活信条を述べ得たのである。」
はい。産経新聞も新聞論壇で長く活躍できますように。
そんな願いもこの『正論』欄には込められているかも。
つい。そんなたわいもないことまでも連想してしまう。
『古典の教養が血肉化』した文を読んでいたいと思う。
さてっと、平川祐弘氏は、この文の最後の方に、
谷崎潤一郎訳『源氏物語』のことに触れてます。
谷崎訳の過程をとりあげております。その引用。
「その際、谷崎は、誤訳批判を気にして、
一度ゲラとして印刷された自分の訳の校閲を
国文学者の山田孝雄に頼み、それをもとにまた朱を入れた。
だがそれで文章が間延びした。
力の抜けた文章だから谷崎訳源氏は日本の名文選に入らない。
大出版社の古典大系の古文にはおおむね国文学者たちの新訳が添えられるが、
正確な解釈を期すために文章がトランスレーショニーズと呼ばれる文体となっている。
原文従属で味気ない。
これは誤訳の減点をおそれる受験生が、
日本語らしからぬ日本語で英文和訳の答案を書くのと同じ心理で、
原文本位の翻訳者や学者先生もとかくそうなりがちだ。 」
はい。そのあとに、与謝野晶子へもどり終っておりました。
しめくくりも、引用しなくちゃね。
「だが晶子は違った。数ある解釈から自分が良しとする解釈を
自己責任ではっきり選び、力強く語る。だから晶子の源氏訳には
熱い血が流れ、心のときめきが感じられる。・・・・・
一冊の古典は昨今の平板な一流の大学に優(まさ)る。」
はい。今進行中のNHK 大河ドラマの源氏物語と、受験シーズンの大学と、
さらには新聞の文章までも含めた見識に満ちたご意見番のオピニオンとして読みました。
ちなみに、月刊Hanada4月号の平川祐弘氏の連載「詩を読んで史を語る」は、
「鴎外訳『ファウスト』など」という題。その最初の方にこんな箇所。
「ゲーテは、若い頃に書き始めた『ファウスト』を
80を過ぎた最晩年にいたるまで推敲を重ねる。・・・」(p316)