「震災復興 後藤新平の120日」(藤原書店・2011年)に
添田知道が作詞した『復興節』が引用されておりました(p55)。
今日届いた、
武村雅之著「関東大震災がつくった東京」(中公選書・2023年)をひらくと、
その「まえがき」は『復興節』の一番を引用してはじまっているじゃありませんか。
その『復興節』の引用からはじめた武村氏は、こう指摘されています。
「冒頭に示したのは、東京で震災直後から流行ったとされる
『復興節』の一番の歌詞である。
復興節は演歌師の添田啞蝉(あぜんぼう)の長男さつきが
最初につくったもので、歌詞はこの他にもいろいろある。
『江戸っ子の意気』、『今川焼さへ、復興焼と改名して(商売する)』
といったたくましさ。
それに『騒ぎの最中に生まれた子どもにつけた名前が震太郎』などなど、
本当は泣きたいような気持ちを笑いで吹き飛ばす
前向きな歌詞に、庶民は勇気づけられた。 」(p12)
はい。せっかくなので、もう少し引用しておわります。
「 一方、父親の啞蝉坊は、
『コノサイソング』という『復興節』の替え歌をつくった。
震災直後には、後藤新平をはじめ、当時の為政者がなにかにつけて、
『この際』と前置きして、帝都復興のさまざまな刷新を口にしたことから、
それを風刺した歌である。どこか憎めない、
また帝都復興に期待する明るさを感じる歌でもある。 」
う~ん。『添田啞蝉坊・知道著作集』(刀水書房)というのがあるんだって。