武村雅之著「関東大震災がつくった東京」(中公選書)の
はじめの方に、静岡県富士郡大宮町の河合清方氏による
関東大震災後の日記が適宜紹介されておりました。
その武村氏によって日記が紹介されている箇所。
「・・余震による揺れについても気象庁の震源決定の
信頼性をチェックできるほどの正確さである。
その河合清方もはじめの3日間はあまりの余震の多さに
余震ごとの記載ができなかったようで、
9月1日は『5分、10分毎に動揺し、震動数10回』・・・
・・4日以降は揺れごとに記述があり、
初めて揺れを感じなかったのは9月21日のことであった。」(p24)
そんな余震のなかに、流言飛語への指摘も日記から拾っておられます。
「一方、流言に関する記述も多くみられ、
大きな余震の揺れがあるたびに大地震の到来を予言する
流言が飛び交う様子がよくわかる。
1日には『 針小棒大の流言を放つもの少なからず 』、
2日には『 公私の団体物々しく、夜中を戒め、
各戸また不眠不休に恟々として非常を警戒す 』、
3日には『 不逞鮮人共産主義者来襲して、暴挙をなす旨の風説あり。
・・・・流説蜚語大いに衆人を惑わす 』。
・・
8日のかなり強い余震のあとに再野宿の用意をしていると、
『 不逞鮮人数十名来襲等の蜚語流説湧出し来り 』
『 富士山噴火せりと予報する説あり 』という有様であった。」
( ~p25)
はい。気になり武村雅之著「手記で読む関東大震災」(古今書院)をひらく。
その日記の9月8日をくわしく引用しておわります。
「 9月8日 晴天
午後6時15分頃、1日以後の最強なる地震あり。・・・
大鳴動と共に揺ぎ出し屋外に飛び出したり。・・・
市川誠一君の如きは
『学説に大地震の後にはそれ以上のは続発せず、と言うのは信ずべからず』
など言うに至りぬ。これより吾も人も再野宿の用意をなす。
午後8時頃前者より軽いけれどもやや強きものあり。
20分時頃過ぎて又微動ありしが、その後は驚くほどのことはなかりき。
・・・・
この夜は非常警戒の提灯往来し、すこぶる物々し
中に、不逞鮮人数十名来襲して、
今万野付近にて青年団と闘争中なりと言うものあり。
尖頭は堅宿に現れたりとか、巡査数十名出発せりとか、
半鐘を乱打して鮮人の来犯を報ずべしとか、
蜚語流説湧出し来り、人々不安の念に駆られつつあり。
富士山噴火せりと予報するの説あり。聴く者驚愕・・・・・・
・・死火山なればと平然自若たるあり。数人数様の意見に混雑を極め、
要は流言者に脅かされつつありと知りつつも、皆恐怖しつつあるなり。
・・・・・・
甲州に大地震あり。甲府全滅せり。鰍沢陥没せり
など伝わるものありて、人騒がせを為せども流言に過ぎざるべし。 」
(p106~107)
さて、静岡の流言蜚語の様子を紹介できたので次回は
その関連で安房郡の流言蜚語を取上げることにします。