関東大震災から、百年が過ぎました。
千葉県安房郡での被災をとりあげたいのですが、
そこで、安房郡長・大橋高四郎を語ってゆきたいのですが、
千葉県の『館山市史』(昭和46年)に、「関東大震災と館山」と題する
箇所があり、そこに『感謝の語り草となっている』という言葉がある。
はい。そこを詳しく引用してゆきます。
「一方、救護については、当時の記録を見ると
( 北條警察署報・安房震災誌 )
北條病院と長須賀納涼博覧会場を救護所に当て、
県派遣の医師14名の応援と、千葉医大医師3名、看護婦4名、
他に薬剤師1名を加えて医師四五名(4~5のことか)にて
看護に全力を尽くしたとあり、
当時の安房郡長大橋高四郎氏を中心として、
郡役所職員、各町村首脳部が打って一丸となって、
県当局への連絡、各機関への通報請願等をなした努力は、
今でも感謝の語り草となっている。
・・・・・ 」(p565~566)
注目したいのは、昭和46(1971 )年出版『館山市史』ということ。
関東大震災から、まだ50年に満たない頃に出来た市史であること。
倉知克直著「江戸の災害史」(中公新書・2016年)のなかに、
『 60~70年以上を超えると、
口頭による伝承は
不確かなものとならざるをえない。 』(p72)
それでは、関東大震災から100年を過ぎた2024年になってみて
いったい『 感謝の語り草 』とはどのような意味だったのか。
安房郡長大橋高四郎とは、いったいどのような人物だったのか。
記録された記述を組立て『 感謝の語り草 』を再現してゆき、
大橋高四郎の人物を、中心にして造形してゆこうと思うのです。