2月14日(水)に法事がありました。いつからか、
できるだけ、お坊さんについて声を出し読むようにしております。
意味はわからなくても、いいや。とりあえず、声を出し読みます。
読経とでは延ばし方が違っているため、お坊さんの読経に
あわすことができないのですが、それでもいいや。と思うことにしてます。
そのうち、それなりに印象に残る所があるものです。
こんかい、気になった箇所を、引用しておくことに。
三界(さんがい)は安き事無し。
猶(なほ)火宅(くわたく)の如し。
衆苦充満して甚(はなは)だ怖畏(ふゐ)すべし。
常に生老病死の憂患(うげん)あり。
是(かく)の如き等(ら)の火、
熾然(しねん)として息(やま)ず。
如来は已に三界(さんがい)の火宅を離れて、
寂然(じゃくねん)として閑居(げんこ)し、
林野に安處(あんじょ)せり。
今此三界は、皆是れ我有(わがう)なり。
其中の衆生は、悉(ことごと)く是れ吾子なり。
而(しか)も今此處は、諸(もろもろ)の患難(げんなん)多し。
唯(ただ)我一人(いちにん)のみ能く救護(くご)をなす。
はい。今回は、読経のこの箇所が気になりました。
久しぶりに集まって昼食を共に語りあっていたら、
この箇所も、すっかり忘れてしまっておりました。
今日になり、お経本をひらいておもいだしました。