土曜日の夜から熱が出て38.4。何にもする気がおこらず、
寝ていたら、腰が痛くなってくるし・・・。
「日本わらべ歌全集19上」は「広島のわらべ歌」です。
手まり歌に惹かれました。そこを引用。
長吉でぶちに(でぶちは、出額で「おでこ」のこと)
セッセのセ
長吉でぶちに 笹植えて
その笹折んな 枝折んな
上(かみ)へ参ろうと 出かけたら
後(あと)からお小夜(さよ)が 泣いてくる
泣く涙は どこへ行く
泣く涙は 船に積む
船は白銀(しらがね) 艪は黄金(こがね)
ヤーレ押せ押せ 都まで
都みやげに 何もろた
都みやげに 帯もろた
帯をもろがた まだ絎(く)けぬ
絎けてたもれや 針三本 針三本
( 安芸郡音戸町・倉横町 )
「 おでこへ笹を植えるという奇抜な発想でうたい出す
愉快な手まり歌。・・・・
『 船は白銀、艪は黄金 』以下は、
『 淋敷座之慰 』( 延宝4年成 )にある
鞠もの歌から出たものらしく、
東北地方から九州鹿児島まで、ほぼ類似の歌詞でうたわれている。
江戸時代より伝承されてきた手まり歌の名歌として評価が高い。 」
( p32 )
ここを読んだときに、私に思い浮かんだんのは、
西條八十の『 かなりや 』でした。
詩集『砂金』に載っているようです。
かなりや 西條八十
――唄を忘れたカナリヤは、後の山に棄てましょか。
――いえ、いえ、それはなりませぬ。
――唄を忘れたカナリヤは、背戸の小藪に埋けましょか。
――いえ、いえ、それもなりまぬ。
――唄を忘れたカナリヤは、柳の鞭でぶちましょか。
――いえ、いえ、それはかはいそう。
――唄を忘れたカナリヤは、
象牙の舟に、銀の櫂(かい)、
月夜の海に浮かべれば、
忘れた唄をおもひだす。
(p55 「詩集西條八十」ハルキ文庫 )
私には、西條八十の『カナリヤ』の詩の中で、どうして
『 象牙の舟に、銀の櫂 』へと結びつくのだろうかと
今まで不思議に思っておりました。わらべ歌の文脈では、
各行での『 長吉でぶちに 』がごく自然に惹かれます。