和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

谷川俊太郎の芝生。

2024-11-22 | 道しるべ
谷川俊太郎氏が亡くなり、検索していたら、
谷川俊太郎選の「永瀬清子詩集」(岩波文庫・2023年10月13日発行)がある。
ちょっと気になり、新刊で注文。昨夜6時頃届く。

私が思い浮かぶ、谷川俊太郎の詩集は、
『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(青土社・1975年)です。
はい。内容よりも、私は題名がいつまでも忘れられずにおりました。
そこにある、最初の詩は『 芝生 』。その詩の出だしはこうです。

         芝生     谷川俊太郎

       そして私はいつか
       どこかから来て
       不意にこの芝生の上に立っていた
        ・・・・ 
  ( 注: あと四行あるけどカットしました )

この『 芝生 』というのが、気になりました。
さてっと、谷川俊太郎選『永瀬清子詩集』(岩波文庫)の
はしがきは、谷川俊太郎でした。そのはじまりを引用。

「 私の最初の詩集『 二十億光年の孤独 』が出てしばらくして、
  珍しく父・徹三に永瀬清子を読むようにすすめられた。

 『 荒地 』『 列島 』『 時間 』などに拠る詩人たちに比べると、
  当時あまり話題にあがらない詩人だったが、
  父の書庫に詩集『 諸国の天女 』があったので読んでみた。
  ・・・ここに他の現代詩の書き手にない何かがあった。・・・  」

それでは、現代詩の書き手だった谷川俊太郎は
どのような少年だったのか?河合隼雄と谷川俊太郎の
対談に『 元禄の会話 』というのがありました。
その場面を引用。

谷川】 ・・・この間も、ぼくが小学校1年生のときに
    父と一緒に写っている読売新聞のコピーを
    持ってきてくれた人がいて、
    家庭訪問みたいな記事なんだけれど、
    もうギョッとしちゃった。

河合】 写真だけじゃなくて記事の内容ですか?

谷川】 そうなんです。母が教育論なんかしゃべっていて
    おかしかったんだけど、ぼくがね、
    母と記者が話しているときに客間に出ていって、
    そこにあった瀬戸物に対して、
   『 お母さま、これは元禄時代の焼き物でしょう 』
    っていうの(笑)。

河合】  ええっ (笑)。

谷川】  そうすると母はね、
    『 違うわよ。これは朝鮮の物よ 』っていうの。
    と、ぼくはね、
    『 朝鮮でも時代は元禄でしょう 』(笑)。
    もうこれは慄然としましたね。
    そういう下地があったから、母は・・
    怒ったんだと思いますね。

河合】  その元禄の会話も載ってるんですか。

谷川】  載ってるんですよ (笑)。
     ・・・・・・・
   
   (  河合隼雄対談集「あなたが子どもだったころ」光村図書 )
 ( 谷川さんと対談副題は「人間ばなれをした孤独を知る人」とありました)

もう少し引用したいけど、引用過多になるのでここまでにして。
父親の谷川徹三の対談などをひらくと、正法眼蔵を病室にもっていて
読んだりとか、宮澤賢治に関する文もあったりする。
どのような思いで、父は息子と対していたのか?
ということで、もう一度『はしがき』を引用しておわります。

「 私の最初の詩集『 二十億光年の孤独 』が出てしばらくして、
  珍しく父・徹三に永瀬清子を読むようにすすめられた。・・・・ 」


コメント (2)
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