和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

詩『数え53になった』

2021-04-28 | 枝葉末節
杉本秀太郎氏の単行本を、古本で購入してます。
すぐに枝葉末節に行きつき、袋小路に迷うので、
65歳を過ぎたら時点で、備忘録は欠かせません。
今回は、富士正晴の名前にひっかかりました。

杉本秀太郎著「パリの電球」(岩波書店・1990年)
杉本秀太郎著「文学の紋帖」(構想社・1977年)
もう一冊どこかにあったような気がするのですが、
もう見つからない(笑)。 まあ、いいや。

本棚からとりだしたのは、
「富士正晴詩集 1932~1978」(泰流社・1979年)。
この栞には、4人の方が書いておりました。

 桑原武夫・杉本秀太郎・清水哲男・原田憲雄 

ここには、桑原氏の言葉を引用することに

「・・これが19歳のときの作品だから、天分は疑いを容れない。
めったに夜を歌わぬ富士が、夜を処女作としてもつのはおもしろが、
ここには静かな水底のような景色があるだけで、夜の連想させる
悲しみ、絶望、罪といったものは全くない。

日本の詩人として恐らく異例だが、
富士は打ちしおれた愁嘆をきっぱり遠ざける。
いや初めから持っていない。彼の好きなのは
青年と自然、青空、風、太陽――それも天中した太陽で、
それらはしばしば擬人化されて詩人と協力するが、
人の心を悲しくする月光や星々の歌われることはない。
ただ小川が音をたてて光り流れる。」

 はい。せっかく詩集を出してきたのですから、
一篇を引用したいのですが、ここでは19歳の詩じゃなくて
もう少し年をくった詩「小信」

      小信    富士正晴(1965年4月)

 数え五十三になった
 なってみれば、さほど爺とも思えず
 思えぬところが爺になった証拠だろう

 他の爺ぶりを見て胸くそ悪くてかなわず
 他の青春を見て生臭くてかなわず
 二十にならぬ娘たちをながめて気心知れぬ思いを抱く
 爺ぶるのが厭で しかも爺ぶってるのだろう   

 やり残している仕事が目につく
 日暮れて道遠しか
 ばたついて 仕事はかどらず
 気づいてみれば ぼおっと物思いだ

 数え五十三になった
 知っている詩人は もっと早くて死んだ
 死に競争で負けてしまった
 もう ゲーテをみよ ヴァレリを見よと
 長命詩人をほめる方へ廻るか
 詩人の平均年齢も上がった
 全くロマンチィックでなくなった

 数え五十三になった 白髪と虫歯と いぼ と しみ・・・・

(詩は、一行空白というのがなく、つづいておりましたが、
 ここでは、とりあえず、ところどころ区切ってみました。あしからず)

え~とですね。
富士正晴氏は、1987年(昭和62年)74歳で亡くなっております。
年譜には「7月15日午前7時、急性心不全のため死去」。
誕生は、1913年(大正2年)10月30日徳島県三好郡生まれ。

ちなみに、「富士正晴作品集」全5巻(岩波書店・1988年)があります。
その編集委員が、杉本秀太郎・廣重聰・山田稔の3名。
はい。私は読んでおりません。
              

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