和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

彼のフィールドノート。

2021-04-29 | 枝葉末節
塚本珪一氏は、杉本秀太郎を評して

「・・・『これは彼(杉本)のフィールドノートだ!』と思う。
いわゆる科学者だけのものではなく、文学者、芸術家も
フィールドノートをそれぞれに持っている・・・・・

このようなことは当たり前であるが、博物学とか『自然学』を
背負っているものは自分だけのものと考えがちである。・・」
   (p198「フンコロガシ先生の京都昆虫記」青土社)

この正味4ページほどの、塚本氏が指摘する杉本秀太郎氏への
文が、私のなかに火がともっているような気がしております。
その火が消えないうち、杉本秀太郎へのフィールドノートを
私なりに、このブログで書いておきたいと思います。

杉本氏の本を読んでいると、いろいろな方が登場します。
なんといっても、京都がホームベースとなっております。
気になることは、いろいろと出てきますから、忘れない
うちにブログフィールドノートに何とか書きこめればと。

まず、この人はどのような人なのか。
ここいらから、焦点をあててみます。

杉本秀太郎著「文学の紋帖」(構想社・1977年)の帯に
菅野昭正氏による「感受の人」と題する文がありました。
うん。これも忘れやすいので全文引用。

「杉本秀太郎氏は感受の人である。
加うるに、よき趣味の人でもある。

好みに合わぬ対象には、一歩も近寄ろうとしないが、
嗜好の針がいったん動きだすと、
感受の窓を惜しみなく開けはなそうとする。
たとえば宗達の、あるいは荷風の、
こまやかな魅惑の襞まで分けいって、
物のかたちを精妙に究めようとする。
さらに作品という物のかたちを通して、
それをつくりだした芸術家の心のかたちを
見定めようとする。これこそ文学・芸術に
接する心得の基本である。

杉本氏ほど初心をみごとに磨きあげた人に、
私はあまり出会ったことがない。」

ちなみに、蛇足になりますが、発行元の
構想社というのは、坂本一亀氏が発行者。
坂本一亀というのは、坂本龍一氏の父親。

杉本秀太郎著「文学の紋帖」(構想社・1977年)
篠田一士著「読書の楽しみ」(構想社・1978年)

篠田一士の本のあとがきでは、篠田氏が
こう書きこんでおりました。

「こういう本ができるなどとは、ついぞ考えたこともなかたけれど、
読みかえしてみて、なにがしかの脈絡があるのは、われながら不思議である。
これも、ひとえに坂本さんの努力の賜物で、スクラップの山から、
あれこれの旧稿をえらびだし、苦心の配列をしてくれた手際は、
感謝のほかない。

坂本一亀と知合いになって、もう、四分の一世紀になるだろうか。
長いと言えば、長い時間だったが、今度、はじめて、ぼくの本が
彼の手づくりでできあがったのは、なによりも、ぼくには、
うれしいことである。しかつめらしい文学論もいいけれども、
こういうアンティークな本をつくってくれたことが、また、一層うれしい。」

どっちらかというなら、杉本秀太郎氏の単行本というのは、
「アンティークな本」と呼べる本が多いような気がします。
というか私にとっては、そういう本を読めるのがたのしみ。





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2 コメント

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詩の評釈 (爛漫亭)
2021-04-29 22:49:47
 杉本秀太郎といえば昔、『伊東静雄』(筑摩書房)を読んで、みごとな詩の評釈に驚嘆した記憶があります。
返信する
未読です。 (和田浦海岸)
2021-04-30 09:14:10
こんにちは。
爛漫亭さん。

はい。私といえば、
杉本秀太郎の「平家物語」も
「徒然草」も、「伊東静雄」も未読。
本だけが昔から本棚にあり、
埃をかぶっております。

この機会に、なんとか、読後感を、
このブログに書きこめますように。
爛漫亭さんに読んでいただけますように。
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