新潮文庫に
「日本少国民文庫 世界名作選(一)」(平成15年)が
入った時に、その解説を河合隼雄氏が書いておりました。
うん。本文は読まないので、河合さんの解説を
パラリとめくる。あれれ、こんな箇所がありました。
それは、隼雄さんの上の兄弟から、この本の読み方を
教えてもらって、その範囲で読んでいたことを語ったあとに
あるのでした。
「『一生、高校の教師をする』などと口走っていただけあって、
私は教師という職業が好きなのだが、そんなときに
『ジャン・クリストフ』に出てくる、行商人の小父の
ゴットフリートが、理想の教師像としてよく思い出されるのだった。
この世の地位や名誉にかかわりなく、真実を知り、それを子どもに
伝えようとする人。子どもにおもねることなく、自分の正しいと
感じることをを、力づくでなく自然のうちに感得させようとする。
教師の理想像などと言っても到底及びもつかないのだが。
自分が教師になって、やたらに張切ろうとするとき、
子ども時代に読んだ書物のなかの人物が、頭を冷やすために
ときどき出現するなどというのは、やはり有難いことである。」
(「復刊にあたっての解説」p366~367)
うん。ちょっと解説の脇道にそれるようにして
語られておりました。
ここに、「一生、高校の教師をする」とあったのでした。
ならば、高校の教師から、一生学ぶようにして、
河合隼雄の本を読んでいけばいいのだ。ということで、
本棚の見やすい場所に河合隼雄氏の本を並べてみる。
え~と。高校といえば、
思い出される言葉がありました。
講談社現代新書の板坂元の著作で
「続 考える技術・書く技術」(1977年)
その第7章でした。はじまりは
「この最後の章では、文を書くための態度と
その社会的責任について述べておきたい。」
とはじまっておりました。
「・・・私たちが英文の百科事典を作るために書いた
著者向けの執筆要領のことだ。英米の百科事典をいろいろと
参考にして作った執筆要領の草稿は、日本のえらい先生から
きびしい批判を受けた。その草稿の中に
『高校一年生にも分かるように書いて欲しい』
という箇所があって、そこが問題になった。
『高校一年生とは情けない。せめてブリタニカ程度のものにすべきだ』
という批評だった。これには閉口した。
アメリカでは、百科事典を買うためのガイドブックが出ていて
それぞれの百科事典のレベルが示してある。それによると、
ブリタニカやアメリカーナなどの有名なものは、
すべて高校一年生以上に適するとなっている。
私たちも、それにならったのだった。
おそらく、えらい先生がたは、ブリタニカやアメリカーナが、
大学生かそれ以上の知識人のためのものと信じておられたのだろう。
・・・・・
そろそろ、そういう後進国根性を捨てて、
文章も読みやすく分かりやすいものにしてもよい時代ではなかろうか。」
(p170~171・ちなみにこの新書「続考える・・」は再版されておらず、
「考える技術・書く技術」だけしか手に入らないので、古本でお探しください)
はい。高校一年生にもよめる、河合隼雄氏の本を本棚に並べてみる。
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