和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

室町時代と豆腐。

2023-05-12 | 本棚並べ
室町時代といえば、そういえば、
山崎正和著「室町記」(朝日選書・1976年)があった。
そのはじまりは

「日本史のなかでも『室町期』の二百年ほど、乱れに乱れて、
 そのくせふしぎに豊穣な文化を産んだ時代はない。」(p13)

「・・・この乱世がまた偉大な趣味の時代であり、少なくとも
  日本文化の伝統の半ば近くを創造したという事実であろう。

  『生け花』も『茶の湯』も『連歌』も『水墨画』も、そして
  あの『能』や『狂言』もこの時代の産物であった。

  今日われわれが暮す日本の『座敷』と『床の間』を生み出したのも、
  さらに西洋人を感動させる日本の『庭』を完成したのも、
  この時代の趣味であった。そればかりか

  毎日の食物の面でも、日本人は醤油や砂糖を始め、饅頭や納豆や
  豆腐のような不可欠のものをこの時代に負っている。・・・ 」(p14)


ここに、『豆腐』とあります。うん。
あとはお気楽に、豆腐の連想。

桑原武夫は、内藤湖南著「日本文化史研究」をとりあげて解説しております。
そこに引用されている湖南の文に一読印象深い豆腐のイメージがありました。

「 『・・・たとえば豆腐をつくるようなもので、
   豆をすった液の中に豆腐になる素質をもってはいたが、

   これを凝集させるべきほかの力が加わらずにいたので、
   中国文化は、それを凝集させたニガリのようなものである
   と考えるのである』。

 しかし、文化形成の起源をそのようにみることは、
 日本人の文化的素質を低くみることではけっしてない。
 湖南はむしろそれを高く評価している。

 その素質は、奈良朝とか徳川時代とかのように外国(中国)文化の
 影響力のつよかった時代よりも、むしろそれの少なかった時代、

 すなわち鎌倉時代・室町時代などに注目して検討すべきであるという。
 これまた一見識をいえよう。そして現代については、

 『 西洋民族はどちらかというと、自分の文化に食傷し、
   自分の文化に自負自尊心をもちすぎて、他の文化を
   吸収するところの能力をよほど減じておりはしないか
   と思うのでありますが、東洋民族はその点において、

   いかなる難解な、いかなる高尚な文化でも、
   どこまでも進んでそれを吸収して、そうして
   
   自分の文化とこれをいっしょうにしてやっていこう
   という大きな希望と決心とを持っているようであります 』

  といっている。著者の希望であると同時に日本の真実であった。 」


 ( p216~217 桑原武夫著「わたしの読書遍歴」潮出版社・1991年 )


うん。だいぶ以前に、この箇所を読んで、内藤湖南を読もうと思った。
あれから、もう30年以上もたつのに、内藤湖南をいまだに読んでない。

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