室町時代といえば、そういえば、
山崎正和著「室町記」(朝日選書・1976年)があった。
そのはじまりは
「日本史のなかでも『室町期』の二百年ほど、乱れに乱れて、
そのくせふしぎに豊穣な文化を産んだ時代はない。」(p13)
「・・・この乱世がまた偉大な趣味の時代であり、少なくとも
日本文化の伝統の半ば近くを創造したという事実であろう。
『生け花』も『茶の湯』も『連歌』も『水墨画』も、そして
あの『能』や『狂言』もこの時代の産物であった。
今日われわれが暮す日本の『座敷』と『床の間』を生み出したのも、
さらに西洋人を感動させる日本の『庭』を完成したのも、
この時代の趣味であった。そればかりか
毎日の食物の面でも、日本人は醤油や砂糖を始め、饅頭や納豆や
豆腐のような不可欠のものをこの時代に負っている。・・・ 」(p14)
ここに、『豆腐』とあります。うん。
あとはお気楽に、豆腐の連想。
桑原武夫は、内藤湖南著「日本文化史研究」をとりあげて解説しております。
そこに引用されている湖南の文に一読印象深い豆腐のイメージがありました。
「 『・・・たとえば豆腐をつくるようなもので、
豆をすった液の中に豆腐になる素質をもってはいたが、
これを凝集させるべきほかの力が加わらずにいたので、
中国文化は、それを凝集させたニガリのようなものである
と考えるのである』。
しかし、文化形成の起源をそのようにみることは、
日本人の文化的素質を低くみることではけっしてない。
湖南はむしろそれを高く評価している。
その素質は、奈良朝とか徳川時代とかのように外国(中国)文化の
影響力のつよかった時代よりも、むしろそれの少なかった時代、
すなわち鎌倉時代・室町時代などに注目して検討すべきであるという。
これまた一見識をいえよう。そして現代については、
『 西洋民族はどちらかというと、自分の文化に食傷し、
自分の文化に自負自尊心をもちすぎて、他の文化を
吸収するところの能力をよほど減じておりはしないか
と思うのでありますが、東洋民族はその点において、
いかなる難解な、いかなる高尚な文化でも、
どこまでも進んでそれを吸収して、そうして
自分の文化とこれをいっしょうにしてやっていこう
という大きな希望と決心とを持っているようであります 』
といっている。著者の希望であると同時に日本の真実であった。 」
( p216~217 桑原武夫著「わたしの読書遍歴」潮出版社・1991年 )
うん。だいぶ以前に、この箇所を読んで、内藤湖南を読もうと思った。
あれから、もう30年以上もたつのに、内藤湖南をいまだに読んでない。
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