和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

渡辺京二の熊本大地震。

2023-01-27 | 地震
同時代にいてくれたのに、
私は、『逝きし世の面影』も未読でした。

その著者・渡辺京二氏が2022年12月25日に亡くなる。

今日の産経新聞オピニオン欄『正論』で平川祐弘氏が
渡辺京二氏をとりあげられておりました。
そのはじまりは

「 渡辺京二氏が熊本で歳末に亡くなった。
 『逝きし世の面影』(平成10年、葦書房)という
  情緒豊かな標題の書物で、日本が西洋化することで
  失った明治末年以前の文明の姿を追い求めた。

  この代表作が17年に平凡社ライブラリーとして
  再刊され、(注:平川祐弘が)解説を書いた。・・・        」


 ちなみにですが、
 渡辺京二氏は1930年生まれ。
 平川祐弘氏は1931年生まれ。

平川氏は、渡辺京二氏の『逝きし世の面影』を切り口にして、
戦後の言論空間を短文できれいに腑分けしてくれていました。

月刊Hanada令和5年3月号には、
三浦小太郎氏が「追悼・渡辺京二」という10頁の文が載っていました。
ちなみに、その次の頁には平川祐弘氏の連載が第九回目になってます。

わたしは、『逝きし世の面影』も読んでいないし。他の本も、
ちょっと、読み齧ったぐらいですので追悼文の引用はさけて、
本棚から、渡辺京二氏の掲載文がある雑誌をとりだしてくる。

「文芸春秋」2016年6月号には、
特集の「大地震からの再出発」に、渡辺氏が「熊本の地から」と
題する文を載せておりました。その文のはじまりは

「 この原稿の注文を受けたとき、考えてしまった。
  決定的な二度目の激震のあと、まだ三日目である。・・・

  やっと最低限の生活空間をぎりぎり作り出したばかりだ。  」

こうして、被災した様子を少し書いてゆき、
「その後のことは書かない。」として文章の鼻先を変えています。

「 災難は今度で二度目という気がする。
  というのは、私は旧制中学三年のとき
  大連で敗戦を迎え、引き揚げるまで一年半、
  敗戦国民として悲惨を味わったからだ。

  特の二年目の冬がひどかった。
  常食は高粱(コーリャン)でつねに飢えていた。

  零下十数度までくだるのに、
  石炭が切れて暖房なしに過した。

  家は接収され、他の日本人住宅に同居を強いられた。
  引き揚げ船には手荷物だけで乗った。全所有物を失ったのだ。

  引き揚げてみると、当にした親戚は空襲で焼け出されていて、
  彼らが転がりこんでいたお寺の一隅に、さらに私たちが転がりこんだ。」


 「敗戦後の苦難と、今回の災害は、形態は違うものの、
  生活基盤を脅かされる点では同一といってよい。
  
  だから私は二度目というのである。
  しかし、経験の質はまったく異なっていた。

  私は年齢というものを勘定に入れていなかったのである。
  敗戦後の私は十代であった。躰をいくら酷使しても疲れを知らなかった。
  苦難は冒険とさえ感じられた。この時期の記憶は、
  私の生涯でも最も生気に満ちている。

  しかし、いま私は八十五歳、
  今度ほど自分が役立たずであるのを感じさせられたことはない。」

 
「 大連で敗戦を迎えたのが私にとってよきことだったのは、若かったからだ。
  いまの若い人が東北大災害と熊本大地震を経験したのは、
  私の場合とおなじようによきことなのだ。このふたつの悲惨事は、

  これから社会を担ってゆく人びとにとって
  貴重な経験になるにちがいない。

  高度化・複雑化・重量化する文明を、
  いかにして質を落すことなくかえって高めながら、

  より操り易く、より軽量で、
  より人間に馴染み易いものに転換してゆくか
  という困難な課題に取り組まねばならぬのは彼らなのだ。 」




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4 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2023-01-27 16:00:14
今、田辺聖子さんの阪神大震災顛末記事を読ませていただいていますが、さすが作家というものはわれわれとは視点が違うと感服しました。今日のこの渡辺京二さんの熊本地震に寄せる感慨もわれわれとはさすがに違うと感服させられました。

興味を覚えたからネットで検索して渡辺京二氏が石牟礼道子氏を援護していたことを知り、石牟礼さんの水俣ものも読んでみたくなりました。
返信する
こんにちは。 (和田浦海岸)
2023-01-27 16:34:00
こんにちは。水仙さん。
コメントありがとうございます。

田辺聖子さんに震災関連文があるのですね。
読みたくなります。ありがとうございます。
返信する
「熊本風土記」 (kei)
2023-01-27 16:41:37
こんにちは。

「渡辺京二の最後の言葉 小さきものの声を聞く」
と題された番組(こころの時代)を視聴しましたが、
目をつむりながら語られる姿が印象的でした。
私も『逝きし世の面影』未読です。

もっと教えてくださいませ。
返信する
おはようございます。 (和田浦海岸)
2023-01-28 13:52:51
おはようございます。keiさん。
コメントありがとうございます。

『もっと教えてくださいませ』
と、コメントいただきました。

昨夜このコメントを読んで寝ました。
今朝、起きがけに思い浮かんだのは、
中学3年生苅谷夏子さんのこの箇所。

大村はま先生が、授業の始まりで、
文章をまとめてみましょうと言う。

それを皆考える。1時間の授業の終り、
先生が語られた言葉を、夏子さんが
紹介しております。

『はい、そこまででやめましょう。今考えた文章は
 書きたかったら書いてみればいいでしょうが、

 書かなくてもかまいません。
 構成を考えたメモだけは、
 しっかり学習記録に入れておきなさい。

 さて、どうでしたか、〇〇を書こうとするときに、
 できごとを一から十まですべて、
 あったとおりに、そのままに書く
 わけではなさそうでしょう。

 書いてある内容そのものが、その人を
 すっかり表現しているわけでない。

 選んだことを選んだ表現で書く、
 実際にあったことでも、書かないこともある、

 そこにこそ、その人らしさが出てくる
 んじゃありませんか・・・・   』


もどって、今日の1月28日は、
この質問に私はどう答えようか。

書かなくてもかまいません。
構成を考えたメモだけでも、
ブログに記録しておきなさい。

大村先生ならばこんな指示かな。

それでもって私の今日のブログには、
記録メモを、書きこもうと思います。

何を言っているのやら(笑)。
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