「 須田剋太 『街道をゆく』挿絵原画全作品集
司馬遼太郎と歩き描いた日本・世界の風景 」第1集~第4集。
企画・編集 社団法人近畿建設協会 ・・
発行 社団法人近畿建築協会
という古本を手にしました。第一巻の「ごあいさつ」から
「・・・もう一つ、『街道をゆく』の魅力を形成している
欠かせないものが、言うまでもなく須田剋太画伯の挿絵です。
グワッシュ画を得意とした画伯の挿絵は、
対象に迫る厳しさと、才気溢れる大胆かつ鋭い筆づかいで、
独創的な絵画世界を形成しています。
社寺、城跡、漁港、市街地、石仏、人物、自然など、
画伯が遺した膨大な挿絵をたどっていくと、私たち自身もまた、
共に諸国の街道行脚をしているような心楽しく胸躍る気持ちになり、
すでに見知った場所や事物でも、
また新たな感動をもってとらえ直すことができます。・・・ 」(p2)
社団法人 近畿建設協会 理事長 宮井宏
ここに『 すでに見知った場所や事物でも・・ 』とあります。
はい。この言葉と並るように、司馬さんの文を引用しておきたくなりました。
「 子どものころから第一級の美を 」と題して
昭和48年『少年少女世界の美術館』の宣伝カタログに
掲載された司馬さんの文の、ほとんど全部を引用してみます。
「 野や町を歩いていて、日本人の美的感覚が
一般に戦前よりも落ちたように思う。
私は日常、むかしはよかったという趣味は
まったくないつもりでいるのだが、この分野ばかりはそうである。
戦前までの日本には、室町期に確立した美学が濃厚に残っていて、
家を建てるにも座敷をつくるにも調度を選ぶにも、
一般人もそれを継承していたし、大工さんたちもそれをもっていた。
いやらしいもの、あくの強いもの、汚物のような自我で
あることに気づかずに自我だけを主張しているものに対し、
室町期の美学を自然に身につけたわれわれははげしく拒絶した。
その美学がいま衰滅し、しかも新しい天才的時代が来ぬままに
やたら混乱している。
少年や少女たちが、その年齢のときから美しいものにあこがれ、
何が美しく、何が嫌悪すべきものであるかを身につけなければ、
きっと醜悪なものの中で平然としている人生を送るにちがいない。
美の訓練は、知恵のできた大人になってからでは遅いらしい。
子どものころから第一級の美しさを見馴れてしまうように
しなければだめなものらしい。・・・ 」
( p143~144 「司馬遼太郎が考えたこと 7」新潮文庫 )
ちなみに、1971年(昭和46)の1月1日号より、
『街道をゆく』が、はじまっていたのでした。
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