安野光雅著「旅の絵本」を、
はじめてひらいたとき、私はつまらなかった。
はい。大村はま・安野光雅対談を読んで、
なるほど、なるほど。と合点したしだい。
そうすると、そこから、連想がひろがる。
はい。ゆっくりと時間をかけてひろがる。
たとえば、私が思い描いたのは、掛け軸。
床の間に、掛け軸がかかっているイメージ。
季節で掛け軸を替えるのが本来でしょうが、
一年中ほとんど同じ掛け軸の時もあります。
そのひとつ、水墨画の山水を描いた掛け軸。
掛け軸の下には川の水が流れていてだんだん、
掛け軸の上にゆくにしたがい深山へ導かれる。
その川に橋などがかかっていて、そこを人が
渡っていたりすると、奥には人家があったり。
はい。安野光雅著『 旅の絵本 』というのは、
発想が同じなのじゃないのかと思ったわけです。
掛け軸の水墨画のような世界を、カラーの絵本で表現している。
そう思えば、連綿と続く日本の絵の表現の流れとつながりそう。
はい。ぼんやりしていると、もうひとつ思い浮かんだのは、
水木しげる著「河童の三平(全)」(ちくま文庫)でした。
うん。そのはじまりを今日は引用したくなりました。
こちらは、マンガですから、当然言葉もありました。
はじまりは
「 ここは5年か10年にひとりかふたりの
人しかはいってこないという山奥である。
そこに一軒の家があった・・・・ 』
こうして、山の傾斜に藁ぶきの屋根の家がありました。
お爺さんと主人公が住んでいるようです。お爺さんが、
「 おまえはきょうから小学一年生として村の小学校に入学する 」
主人公は、河原三平。笹原をザワザワザワと手でわけて学校へ。
「 学校まで10キロもあるのだ 」
そんなある日、三平は川に魚つりに行き、舟でねむってしまいます。
「 三平が、ふつうの子どものように、10時間ねむればしぜんに
目がさめるというのなら、問題はなかったが三平は生まれつき
一度ねむると、人がおこすまで目がさめない子どもだった。 」(p15)
「 なん時間 いや なん日間ねむりつづけたのであろうか・・・
船はみょうなところへながされていた 」
はい。このp16の絵が、川を中心に切り立った奥深い山間が描かれています。
その川の真中に舟がすすみ、グーグーと鼾が聞こえます。
佐藤坊やのことを、思い浮かべているうちに、
水墨画から河童の三平へ思いが広がりました。
コメントありがとうございます。
ちょっと、気になっていたのですが、
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」。
この本のあとがきに、ありました。
「この本のもとになったのは、
『 わたしの秘書修業 』という連載記事で、
『天理時報』(天理教道友社発行の週刊新聞)に
のせていただいたものです。
1回分が四百字詰原稿用紙5枚のエッセーで
16回(昭和54年1月14日から4月29日まで)
つづきました。・・・ 」
はい。水仙さんが読まれていたのは、これですね。
再コメントありがとうございます。
次回のブログは、
奇遇なめぐりあわせ・・・。
を思い描いております。