朝日文庫の鶴見俊輔著「期待と回想 語り下ろし伝」を
せっかく古本で買ったので、本文をめくってみる。
その第9章「編集の役割」だけを読むことに。
なんてね。私はこの章だけで満腹でした。
9章の最後を引用することに。
「私は本を読みながら青線・赤線を引くんです。
それが編集だという考え方もできるでしょうね。
そうすることでもう1つの本をつくっている。
スキー場で上から下を見下ろすと、凸凹が見えるでしょ。
その凸凹をどうやって走り抜けるかを考えるように、
本を読むこともその凸凹を走り抜けることなんだね。
あらゆる言葉が均等に並んでいたら、本なんて読めるわけないんです。
・・・・もとのテキストのどの箇所をこう解釈したと明示すれば、
ゆがめたということにはならない。
たとえゆがめたとしても、ゆがめた証拠はのこる。 」(p526~527)
はい。目からウロコ。
「 本を読みながら・・・線を引くんです。それが編集だ
という考え方もできるでしょうね。 」
はい。そういうことから編集がはじまっているんだ。
うん。鶴見さんの語りの身近さワクワク感がでます。
書評についてもありました。
新聞の書評委員をしていた経験を話したあとでした。
「・・問題は時間なんです。
本が出てから、二週間のあいだに書評を書かなければならないでしょう。
読んでみて重大な見落としは、10年、20年の幅をもって現れるんです。
その期間に重大な見落としがあったといえるような、
そんな自由を与えてくれる書評欄がほしいですね。・・」(p523)
「原因は時間だと思います。
百年の幅をもって書評をしてもいいという欄ができればいい。
それも旧著発掘だけじゃなくて、新解釈を混ぜたようなかたちで。
いまの短い書評でも『この本おもしろいよ』と
責任をもっていえますが、その程度のことです。・・ 」(p524)
なんだか、70歳からの読書の腰の据え方を聞いているようです。
津野海太郎著「百歳までの読書術」を読んでるような気になる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます