徒然草を読むのに、シロウトの私には文庫一冊あればよし。
島内裕子校訂・訳「徒然草」(ちくま学芸文庫・2010年)。
島内裕子さんが、徒然草へ旅のツアーコンダクター。
くだけて言うなら、修学旅行のバスガイド(古い)。
はい。どんなガイドさんなのか?
ガイドさんの自己紹介が聞きたい。
はい。そんな我儘を聞き届けてくれました。
島内裕子著「兼好 露もわが身も置きどころなし」
(ミネルヴァ書房・2005年)日本評伝選の一冊。
その本の「あとがき」での自己紹介。
「多くの人がそうであるように、
徒然草との最初の出会いは、中学の終わりか高校の始め
頃の国語の授業だった。
その時、この作品の清新さに、まず心打たれた。
これが六百年以上も前の時代に書かれたものとは、思えなかった。
・・・・
それ以前の『若草物語』や『赤毛のアン』や『秘密の花園』の
世界から、いつのまにか読書の好みも変化していた。
教科書に出てくる徒然草は、簡潔で多彩ないくつもの短い章段からなり、
『パンセ』や『侏儒の言葉』のような断章形式が何とも魅力的だった。
『この作品を、一生研究してゆきたい』と、
十代の半ばで思い定めたのは、今振り返れば不思議な気もする。
けれども幸いこの気持ちは揺らぐことなく、こうして兼好の評伝を
書き終えるまでの長い歳月を、いつも徒然草は私の傍らにあった。 」
はい。この後も肝心な場面がありますので、
もう1ページ分を引用してしまうことに。
「だから、十代の終わり頃から読み始めた小林秀雄経由で、
モーツァルトやランボオに出会い、大学生になってから
美術展や音楽会に出掛けて、ヴァトーやショパンを好きになっても、
それらのすべてが、時代も場所も越えて徒然草の世界と響き合い、
徒然草はますますみずみずしい姿で絶え間なく生成してゆく、
一つの生命体であった。」
うん。この次には、大学院の口頭試問がひかえておりました。
そこも引用しなくちゃ終わりにできません(笑)。
「ところが、いざ専門的な研究に取り組み始めると、
徒然草と兼好がかなり固定化した捉え方をされていることに、
違和感を感じずにはいられなかった。・・・・・・・
それならどのような観点と方法で徒然草の研究をすればよいのか。
忘れることができないのは、大学院の口頭試問で、秋山虔先生が、
『研究者として、ずっとやってゆく決心はありますか』とお聞きになり、
それを承ける形で今は亡き三好行雄先生が、
『徒然草って、まだ研究することがあるの』と質問なさったことだ。
一瞬、『不合格かしら』という不安が心をよぎり、
返答に窮していた時、
『ええ、まだあります』と久保田淳先生が一言おっしゃって、
急にその場の雰囲気が和らいだ。
ほんの一、二分の出来事だったが、この時の先生方の、
厳しくも暖かい励ましが、ずっと研究の支えとなっている。 」
( p299~300 )
はい。こうして格別の案内人を得たのですから、
ここでは旅をガイドさんと一緒に楽しまなきゃ。
コメントありがとうございます。
名ガイドさんとめぐり会えたので、
時空を超えた、徒然草の文庫旅へ。
ここでは弥次喜多道中つれづれ旅。
うん。名ガイドさんの指摘からの、
バトンつないで、いざいざ文庫旅。
序段~最終段まで、はしょっても、
手抜きも何でもつないでいきます。
楽しい野次コメントも合いの手に、
声援を背中にバカもおだてりゃで、
無事ゴールするまでのおつきあい。
はじまりはこんな調子でスタート。