『大村はま国語教室』(筑摩書房)の全21冊。
古本で購入したのが10月下旬。そのままで今年も終わりそう。
かくなるうえは、数冊に絞って読み、来年につなげよう。
ということで、指し示してくれる箇所に注目することに。
「大村はま国語教室」第11巻をひらく。この巻の内容は、
解説(倉沢栄吉)のはじまりに示されておりました。
「 本巻は昭和31年から20年以上にわたる
講演記録の中から精選された講演集である。・・ 」(p375)
解説の最後には、こうあったのです。
「 ・・本巻は前にも述べたように、
第一巻、第十三巻などと響き合って、著者の実践的精髄を、
具体的に凝縮したものとすることができよう。 」 (p382)
それでは、『具体的な凝縮』とはなんなのか?
第11巻の月報のはじまりは石森伸男さん。
その題は「『大村はま国語教室』を読む人たちに」。
この題は、全集を読まない私に語りかけるようです。
石森氏の、月報の言葉を引用。
「 終戦後まもなく、国語の指導要領を編集したときから、
大村さんと話をするようになった。
実際教育の話などを始めると、とかく話が固くなって狭くなる。
具体的にならずに、抽象的になりやすい。まとまらずに、
各人各様の考えだけが打ち出されるきらいがある。
わたしはそれがきらいで、何とかしてもっと拡げたいし、
おもしろく個性的であるように工夫して語る。
特に、国語教育の場合には、この願いをいつも心の奥に持っていた。
大村さんに出合ってから、始めてこの願いが達せられた。
その時の喜びと望みとは、今も忘れずにいる。・・・・
大村さんの研究授業には、できるだけ出席することにした。
すると、その研究の資料、教材はいうまでもなく、
その指導書、その参考資料などが謄写版に刷られて、
ひとかかえもあるほど手わたされた。
これは、大村さんがひとりで書き、ひとりで印刷し、
ひとりでまとめたものである。それが研究授業の度のこと・・
持ち帰って読み通すことも大変なことであった。
わたしの言いたいことは、まだこの他にもある。・・・・ 」
さてっと、全集の中の三冊。
パラパラでも、ひらきたい。
21冊。
手に入れる喜び、ありましたよね。
どう読み進めるかは、やはり考えどころなのでしょうね。
「かくなるうえは」(笑)
「全集を読まない私」。大村さんの「実践的精髄」を知ってみたく思います。
あとを追わせていただきます~。
コメントありがとうございます。
あ、これ。大村はまの国語教室というのは、
どこにいてもおかしくない、中学の国語の先生が
大切に保存してくれていた資料の集大成といった
全集なのです。
さて、そこにどのように価値を見出すのか?
そんな宝探しのような読書だと思ってます。