和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ひとかかえもある。

2022-12-19 | 前書・後書。
『大村はま国語教室』(筑摩書房)の全21冊。
古本で購入したのが10月下旬。そのままで今年も終わりそう。

かくなるうえは、数冊に絞って読み、来年につなげよう。
ということで、指し示してくれる箇所に注目することに。

「大村はま国語教室」第11巻をひらく。この巻の内容は、
 解説(倉沢栄吉)のはじまりに示されておりました。

「 本巻は昭和31年から20年以上にわたる
  講演記録の中から精選された講演集である。・・ 」(p375)

解説の最後には、こうあったのです。

「 ・・本巻は前にも述べたように、
  第一巻、第十三巻などと響き合って、著者の実践的精髄を、
  具体的に凝縮したものとすることができよう。      」 (p382)

それでは、『具体的な凝縮』とはなんなのか?

第11巻の月報のはじまりは石森伸男さん。
その題は「『大村はま国語教室』を読む人たちに」。
この題は、全集を読まない私に語りかけるようです。
石森氏の、月報の言葉を引用。

「 終戦後まもなく、国語の指導要領を編集したときから、
  大村さんと話をするようになった。

  実際教育の話などを始めると、とかく話が固くなって狭くなる。
  具体的にならずに、抽象的になりやすい。まとまらずに、

  各人各様の考えだけが打ち出されるきらいがある。
  わたしはそれがきらいで、何とかしてもっと拡げたいし、
  おもしろく個性的であるように工夫して語る。

  特に、国語教育の場合には、この願いをいつも心の奥に持っていた。
  大村さんに出合ってから、始めてこの願いが達せられた。

  その時の喜びと望みとは、今も忘れずにいる。・・・・

  大村さんの研究授業には、できるだけ出席することにした。
  すると、その研究の資料、教材はいうまでもなく、
  その指導書、その参考資料などが謄写版に刷られて、
  ひとかかえもあるほど手わたされた。

  これは、大村さんがひとりで書き、ひとりで印刷し、
  ひとりでまとめたものである。それが研究授業の度のこと・・
  持ち帰って読み通すことも大変なことであった。

  わたしの言いたいことは、まだこの他にもある。・・・・   」


さてっと、全集の中の三冊。
パラパラでも、ひらきたい。

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2 コメント

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個性的な工夫 (kei)
2022-12-19 21:41:24
こんばんは。

21冊。
手に入れる喜び、ありましたよね。
どう読み進めるかは、やはり考えどころなのでしょうね。
「かくなるうえは」(笑)

「全集を読まない私」。大村さんの「実践的精髄」を知ってみたく思います。
あとを追わせていただきます~。
返信する
宝探しのような。 (和田浦海岸)
2022-12-20 08:42:35
おはようございます。keiさん。
コメントありがとうございます。

あ、これ。大村はまの国語教室というのは、
どこにいてもおかしくない、中学の国語の先生が
大切に保存してくれていた資料の集大成といった
全集なのです。

さて、そこにどのように価値を見出すのか?
そんな宝探しのような読書だと思ってます。
返信する

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