産経新聞1月21日の一面コラム「産経抄」は、
向田邦子さんのエッセーを紹介してました。
はじまりは、
「新聞は3つに大別できるという。
配達されて、まだ読んでいないもの。
ざっと目を通しただけで、
すぐ手を伸ばせるところに置いておくもの。
『これはまさにシンブンである』と、
作家の向田邦子さんが昔日のエッセー
『新聞紙』に書いている。
向田説は続く。
日付が変われば、新聞は『新聞紙(シンブンシ)』になり、
一週間もたてば『シンブンガミになってしまう』と手厳しい。」
コラムの終わりの方には、
「向田さんは多いときで11紙を購読していた。
『新聞神(がみ)』と呼ぶべき人だろう。・・・」
さてっと、1月も20日を過ぎると、
シンブンガミも積もってきます。
ざっと目を通しただけのシンブンガミが、
そこにあるので、年の初めの月は、
シンブンガミに敬意をあらわして、めくり直す。
といってもパラパラとひらくのみ(笑)。
そういえば、産経新聞の連載がある。
「明治の50冊」と題して、毎週月曜日の連載。
1月8日が第一回「西国立志編」
1月15日が第二回「学問のすすめ」
1月22日が第三回「文明論之概略」
さてっと、「明治の50冊」は
ひきつづき、どんな本が並ぶのか愉しみです。
愉しみなんですが、週一回で50回だとすると、
どうしても、一年はかかる。
月曜日の産経新聞は、忘れないようにします。
一年間だと、見忘れることもあるだろうなあ(笑)。
せめても、はじまりの見出しを引用しておきます。
「あけましておめでとうございます。
明治150年という区切りの年、
これから50回にわたり、欧米列強による
植民地化の危機を知恵と努力と勇気で乗り越えた
明治人が残してくれた作品を毎週一冊ずつ紹介してゆきます。
取り上げるのはいまなお私たちに多くの『気づき』を与え、
鼓舞してくれるであろう作品です。
読者のみなさんにとってこの連載が明治の古典に触れる
きっかとなるよう、単なる内容紹介にとどまらず、
作品が書かれた時代のエピソードや現代のこぼれ話など
をまじえた読み物にしたいと考えています。」
うん。1月は欲張って、
「明治の本をひらく一年でありますように」
と願いをこめる。
たとえ、雑読であろうと、断片読みであろうと、
明治の本をひらく一年でありますように。
向田邦子さんのエッセーを紹介してました。
はじまりは、
「新聞は3つに大別できるという。
配達されて、まだ読んでいないもの。
ざっと目を通しただけで、
すぐ手を伸ばせるところに置いておくもの。
『これはまさにシンブンである』と、
作家の向田邦子さんが昔日のエッセー
『新聞紙』に書いている。
向田説は続く。
日付が変われば、新聞は『新聞紙(シンブンシ)』になり、
一週間もたてば『シンブンガミになってしまう』と手厳しい。」
コラムの終わりの方には、
「向田さんは多いときで11紙を購読していた。
『新聞神(がみ)』と呼ぶべき人だろう。・・・」
さてっと、1月も20日を過ぎると、
シンブンガミも積もってきます。
ざっと目を通しただけのシンブンガミが、
そこにあるので、年の初めの月は、
シンブンガミに敬意をあらわして、めくり直す。
といってもパラパラとひらくのみ(笑)。
そういえば、産経新聞の連載がある。
「明治の50冊」と題して、毎週月曜日の連載。
1月8日が第一回「西国立志編」
1月15日が第二回「学問のすすめ」
1月22日が第三回「文明論之概略」
さてっと、「明治の50冊」は
ひきつづき、どんな本が並ぶのか愉しみです。
愉しみなんですが、週一回で50回だとすると、
どうしても、一年はかかる。
月曜日の産経新聞は、忘れないようにします。
一年間だと、見忘れることもあるだろうなあ(笑)。
せめても、はじまりの見出しを引用しておきます。
「あけましておめでとうございます。
明治150年という区切りの年、
これから50回にわたり、欧米列強による
植民地化の危機を知恵と努力と勇気で乗り越えた
明治人が残してくれた作品を毎週一冊ずつ紹介してゆきます。
取り上げるのはいまなお私たちに多くの『気づき』を与え、
鼓舞してくれるであろう作品です。
読者のみなさんにとってこの連載が明治の古典に触れる
きっかとなるよう、単なる内容紹介にとどまらず、
作品が書かれた時代のエピソードや現代のこぼれ話など
をまじえた読み物にしたいと考えています。」
うん。1月は欲張って、
「明治の本をひらく一年でありますように」
と願いをこめる。
たとえ、雑読であろうと、断片読みであろうと、
明治の本をひらく一年でありますように。
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