和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『 すべてをまことに漫然と 』

2025-01-21 | 書評欄拝見
山本七平著「精神と世間と虚偽 混迷の時代に知っておきたい本」(さくら舎)
のページ最後にはこうありました。
「 本書は文藝春秋『諸君!』に連載の
     『 山本七平の私の本棚から 』(1982年6月~1985年8月)
      を再構成し、まとめたものです。・・・                      」

雑誌掲載ののち、さくら舎がはじめて単行本(2016年)化したことになる。
山本七平と本の間柄も、本の紹介(書評)の枕として、挿入されております。
たとえば、

「 趣味が読書だとすべてをまことに漫然と読みはじめる。
  小林秀雄も確か武者小路実篤氏の『論語』を評したとき、
  『 いつものやうに漫然と読みはじめ・・・ 』
  といった言葉があったように記憶する。

  私の記憶違いで、他の本の批評だったかもしれないが、
  この『 いつものやうに漫然と・・ 』という言葉を
  30年以上記憶しているところを見ると、
  何か共感を感じたのであろう。漫然と読んでいると、
  時々ふと読書をやめて他のことを考えている自分に気づく。 」(p33)

これは、京極純一著「日本の政治」をとりあげた文の導入部でした。
そのあとに、こうありました。

「 そしてまた我に返って読みはじめる。
  私はこういう読み方が楽しいのだが、
  『 日本の政治 』を読みはじめてすぐ感じたことは、
  『 まてよ、京極先生、『 老子 』の愛読者じゃないのかなあ 』
  ということであった。

  もっともこれは私の勝手な連想で、そうでないのかもしれない。
  だがそのような連想をしたのは、
  『 其の鋭を挫き、其の紛を解く 』(「老子」四章)という言葉を
  思い出したからである。この言葉はさまざまに解釈できるであろうが、
  『 一刀両断、ずばりとものごとを割り切るような鋭さを挫き、
    もつれた糸を根気よく解くほうがよい 』の意味、
  諸橋轍次(もろはしてつじ)氏はこれを
  『 世の中の文化や文明は、条理の整った一つの複雑さ 』を持つから、
  根気よくこれを解いていくのがよいとした、と解説されている。
  そして本書はまさに、西洋文明と中国文明と日本文化が
  『 糸のもつれのような紛雑 』(諸橋氏の言葉)さでからみあっている
  日本の政治に『 其の紛を解く 』という形で迫っているからである。」
                               (p34)

あとすこし、引用してみます。

「 ・・・『あとがき』には次のようにある。
  この書物の目的は『日本の政治』のいくつかの側面について
  記述し説明することであって、
  日本の政治の現在について評論し、
  日本の政治の将来について唱道(しょうどう:先に立って唱える)
  することではない。

  教室で授業を聞き、試験を受け、単位を取り、
  卒業しなければならない立場にある学生・・に対して、
  教師が一方的に評論と唱道を提供することは、
  マックス・ウェーバーを俟(ま)つまでもなく、フェアでない。

  しかし、人間交際のなかで、言葉が認知・評価・指令の三側面を
  多少とも共存させ、表現が報道・解説・評論・唱道の四側面に
  多少ともわたることは、避けがたい事実である。
  この点を考え、この書物のなかでは評論、とくに唱道
  にわたることを、気のつく限り、避けたつもりである。 」(p35)

この本の目次をひらくと、目次の見出数から判断して、
すくなくとも22冊の本が紹介されているようです。
これから、辻善之助著『日本文化史』を読みはじめようとする私には
この推薦本の並びは目の毒というもの。私は京極氏の本は読まない
だろうけれども、『 すべてはまことに漫然と 』読みはじめる
ということが、私にもけっしてないとは言えないので引用しました。
 



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