和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読書人素描

2021-05-14 | 本棚並べ
桑原武夫著「人間素描」(筑摩叢書)で、印象鮮やかなのは、
読書人を素描していることなのでした。
さて、読書人の風貌といってもよいのでしょうが、
とりあえず、西堀栄三郎氏から引用。

「・・・・彼(西堀)との交友のおかげだと思う。
私は読書論をかくたびに彼の風貌を想起せずにはおられない。
とくに忘れがたい一場面がある。

ある登山の集会で、浦松佐美太郎氏の講演中、
私はわからぬことがあったので、紙片に疑問を書いて西堀に回した。
彼は例によってグラフと数字を書こうとしたが、紙がない。すると、
彼はその日丸善から買ってきたばかりのフィンチの山岳紀行文集の
豪華本、本文が中央に印刷され、余白の多い、その欄外のところを
サッと引きやぶって、それに答えを書いてよこした。

長塚節の『土』の初版本を見つけて喜んだりしていた私は、
全くイカレた。この間この話をしたら、本人はすっかり忘れていたが、
私のようなものにも、もし読書史というものがありとしたら、
彼の行動はその一転回点をなしたといえる。」(p150)


内藤湖南をとりあげた個所では

「父が、わしの書庫はまるで内藤(湖南)君のもののようだ。
と二、三度いうのを聞いたことがある。

よく先生から電話がかかり、君のところに何々というのがありましたね。
いつか拝借したが、あれの第何章に、ほぼこういう意味のことがあった
と思う。明日講義で引用しなけりゃならないので、恐縮だが電話口で
ちょっと読んでくれませんか。

父は書庫からその本を捜し出してきて半信半疑でページをくると、
その場面に必ずその文句はあった。あの記憶力にはかなわん、
と父は私によく述懐した。」(p13)

もう一人引用させてください。
「狩野先生逸事」と題された、ほんの1ページほどの文。
まず、小料亭の女将お春さんから聞いた話とあります。

「彼女は京都の大先生たちをよく知っていたが、
そのきかせてくれた逸話の一つ。戦争末期、京都も空襲の恐れがあり、
物ぐさの狩野直喜先生もようやく貴重な蔵書の疎開を考えられた。

・・・老儒を困惑からすくったのがお春さんだった。
洛西鳴滝の宇佐美邸に預ってもらうことになり、
定めの日にトラックを用意して田中大堰町のお宅にうかがうと、
モーニングに威儀を正した先生が玄関へ出てこられたので、
お春さんは驚いた。

今日はなんかあるのどすか、とおたずねすると、
わたしが永年厄介になった本、それがあんたの世話で旅立つ、
お別れの日ではないか、と答えられたという。・・・」(p32∼33)

はい。あなたなら、どのエピソードがお気に入りでしょうか?
私は、欲張りなせいか、どのエピソードも忘れ難いのでした。


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2 コメント

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こんにちは(^^♪ (のり)
2021-05-15 11:36:27
どのエピソードも良いですが、最初のエピソードが特にカッコいいと思います・・・
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西堀栄三郎。 (和田浦海岸)
2021-05-15 14:49:54
こんにちは。のりさん。

はい。最初のエピソードは
西堀栄三郎さんでした。

桑原武夫著「人間素描」の
「西堀南極越冬隊長」という18ページの文。
はい。何度読んでも、ぐっときます。

奥さんの美保子夫人もでてきますし、
東芝、旭化成のベンベルグまで出てきます。

それはそうと、カッコいいと思われた箇所の、
その前の文もせっかくなので引用してみます。

「シュナイダーの技術を日本の山地で最初に
実践化したのは、恐らく彼であろう。そして
彼はそのシュナイダーの本を惜し気もなく
後輩にやってしまった。

登山の本についても同じで
『自分でちゃんとやれるようになったら、
本なんかいらへんやないか』という。

シーズン前に本は古本屋に払い下げられ、
それを旅費にしてきた山で、本の中身だけが
彼のクライミングとスプールにのこる。

人生における読書の究極の意義は
恐らくここにあるのだろう。・・・」

はい。毎度忘れた頃に読むと、
その都度グッとくる18頁です。
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