和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

朝日の社説。

2008-03-07 | Weblog
朝日新聞の古新聞をもらって来ては読むのでした。
軍隊でいえば、下士官が充実しているのに、
大本営にいる幹部がいけないという構図が
私には、朝日新聞にも色濃く感じられるのですが、
皆さんは、いかがですか?

ところで、古新聞はまとめて読みますから、
ふだんは気づかない視点を得ることがあります。
たとえば、社説。
2008年の3月1日「ギョーザ事件 冷静に対立を解きほぐせ」という見出し。
次の3月2日「米兵釈放 それでも事件は消えない」という見出し。

うん。私は思うのです。見出しを取りかえてみたらとね。
たとえば
「ギョーザ事件 それでも事件は消えない」
「米兵釈放 冷静に対立を解きほぐせ」
という見出しもありなんじないか。その見出し取替えを許さない縛りが朝日にはある。

そう思うくらい朝日新聞の社説は、大本営発表の臭いがします。
あとで、発表に踊らされていたと、わかってたんと反省してみるのもいいのですが、ここはひとつ小林秀雄風に、「反省したいやつはたんと反省するがいい。私は反省などしない」なんて語るのもいいなあ(何をいってるんだか)。
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悪辣な所行。

2008-03-05 | Weblog
藤井貞和著「古文の読みかた」(岩波ジュニア新書)に、こうありました。
「はじめに」に
「一つだけ用意してほしいものは、専用の、ハンディな古語辞典です。一人一冊ずつ持ってほしいのです。辞典は学習するために引くので、おぼえるために引くのではないのですから、気軽にどんどん利用すべきで、学習の捷径(早道)ここにあり、です。」
この言葉は本文のp161にもでてきます。
「辞典をせっせと引いてほしいものです。(辞典を引いたらおぼえなきゃいけない、と思うから、辞典を引くことがおっくうになるのです。古語辞典は、おぼえるために引くものであはありません。)」

辞書をひく。ということで思い出すのは、
谷沢永一・渡部昇一著「広辞苑の嘘」(光文社・古本2001年)にある渡部氏の「結びにかえて」にある言葉です。
「とくに定義の偏向が問題になるような単語は、私は絶対に『広辞苑』で引くことはなかった。だから『広辞苑は少しおかしい』という噂は耳にしたことはあったが、実際上私には全く縁がなかった。ところが今、改めて歴史認識や思想が問題になる項目を拾い当たってみると、なるほど見逃すことのできない偏向がある。とくに注目すべきことは、版が新しいものほど嘘が多くなっていることだった。普通は辞書は版を重ねるほどよくなるはずだが、『広辞苑』はその反対なのである。」(p280)
「人は自分の引く辞書を信頼する。辞書には誤植や誤記はないはずだ、という先入観が一般にある、と言ってよいであろう。そこにつけ入るとは、何たる悪辣な所行であろうか。」(p281)

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辞書の書評。

2008-03-04 | Weblog
丸谷才一氏が対談の中で、こう語っていたことがありました。
「ぼくは、辞書は書評の対象として非常に大事だと思うんですよ。普通の読者が買う、いちばん高い本は辞書です。しかも地方の書店には実物が揃っていないことが多い。すると書評が購入の基準になる。・・・ところがそれを一般の書評は取り上げない。理由のひとつは面倒だからですね。それから辞書は書評欄では取り上げない、という不文律のせいもあります。」(「今週の本棚」の11年・和田誠氏との対談)

さてっと。3月3日の読売新聞二面の下に、広辞苑の広告が載っておりました。「広辞苑を贈ってくれた人のことは、忘れない。」という文字がありまして、それより小文字で「お祝い・贈りものに、広辞苑 第六版。新たに1万語を収録し、10年ぶりの大改訂。」とあります。10年ぶりといえば、うるおぼえですが10年前の広辞苑広告では、作家の推薦文が載っていたような気がします。大江健三郎・井上ひさし等々の名前が踊っていたような気がしますが、どうでしたでしょう。そういえば、今回は推薦人の名前がないなあ。と、ふと思ったりします。

最初に引用した丸谷才一氏の言葉は、毎日新聞の読書欄「今週の本棚」の紹介パンフレットに掲載されていた対談の言葉です。的確なことを指摘しておられるのですが、ところで、昨年の暮から大々的に広告していた「広辞苑」について、どうやらしっかりとした書評は、どの新聞書評もしておられないようです。

もしも、広辞苑を買うかどうか、お迷いの方がいましたら、おすすめの書評が出ております。「正論」2008年4月号に、渡部昇一氏が9ページの書評を展開しております。机上版が12600円で普及版が7875円(どちらも税込み)のお買い物です。もしも買おうかどうか、お迷いでしたら、680円の雑誌「正論」の出費など安い安い。

9ページの書評から、半ページだけ引用するのは、もったいない気もするのですが、チラッと紹介するのも、後学のためになるでしょう。ということで、すこしぐらいは引用させてください。

「私は、広辞苑が六版まで版を重ねていることにむしろ喜びを感じている。(イギリスを代表する辞書である)ブリタニカは初版から約二百年間、私はそのすべてを持っている。各版が何を書いたか。それを見れば、その時代の思想や事情がよくわかる。・・・・それを考えると、五版(1998年)から十年間で、日本人にとって最も記憶に刻むべき事件であった、日本人拉致事件(2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝で、金正日総書記がこれを認めて謝罪)が盛り込まれていないのは、何ということか。まさに許しがたい。広辞苑には中国の地図まで載っているが、台湾は『台湾省』にされている。総選挙によって成り立っている台湾を省というのはけしからん話である。・・・もっと許し難いのは【台湾】の項の記述である。単なる島扱いしかしていないことは、最近の学研の地球儀などでも問題になったが、広辞苑は記述の方も間違い・・・」

ところで、辞書といえば、もうひとつ紹介したい書評がありました。はじめて買った雑誌なのですが、「一個人」2008年3月号。特集が「大人の読書案内・人生、最高に面白い本」。そこに谷沢永一氏の「日本の常識をくつがえす名著7冊」というのが載っておりました。その7冊のなかに谷沢氏は「新潮日本語漢字辞典」を入れております。その辞典について谷沢氏の文は短いですから、丁寧に引用してみましょう。

「・・漢和辞典の歴史を変えたといっても良いくらい、画期的な辞典です。・・日本人の使用法に基づいて編まれた、初めての漢和辞典です。日本での漢字の使われ方や用法が、日本語の用例を用いて解説され、『秋刀魚』『炬燵』など、日本でしか使われない言葉もふんだんに載っています。外国で生れた言葉を輸入・翻訳し、自国の言葉として使う際には、多かれ少なかれ混乱をきたすものです。たとえば『日本国憲法』の原文は英語で書かれていますが、『religion』をそのまま『宗教』と訳したことが、軋轢のもとになっています。英語のレリジョンは、『ひとつの宗派を固く守ること』を意味しますが、この辞典に載っている日本語の『宗教』の解説は、『神仏または神聖とされるものに関する信仰』となっています。『レリジョン』の意味に基づくなら、たしかに政治家の靖国参拝は違憲となるのでしょう。しかし、日本語の『宗教』の意味ならばなんら問題はないわけです。同じものを表しているはずの言葉でも、正確に訳すと意味がまるで違う、ということはままあることです。その昔、外国語であった文字が日本語になっていく過程にも、さまざまな意味の変化がありました。日本人が漢字を吸収し自分のものとしていった歴史を、しみじみと考えさせられる一冊です。」


この新潮日本語漢字辞典、昨年2007年9月発売。一万円で小銭のお釣りがくる価格です。私には買えないなあと、思っていたのですが(笑)。いちおうですね、ネットで確認してみたのでした。すると現在は品切れ。そして古本の価格が出ておりまして、何と15500円となっております。ちなみに、広辞苑机上版は2008年1月11日発売で12600円。ネット安値で9808円となっておりました。なんだか連想として、テレビの「開運!何でも鑑定団」を私は思い浮かべておりました。


追記。広辞苑については、以前2008年2月4日にこのブログで「イケメン・いけ面。」と題して書いたことがありました。
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一本立ちの孤独。

2008-03-02 | Weblog
三好達治著「詩を読む人のために」(岩波文庫)を読みました。
興味は後半の方にありましたので、後ろから読みはじめました。
そして、残念ながら私は前半の箇所が興味をもてませんでした。
私は同じ著者の、「諷詠十二月」(潮文庫・古本)が好みです。
けれども、「前書き」が素敵でした。そういえば、と思い浮かべるのは、
茨木のり子著「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)の「はじめに」でした。
茨木さんはジュニア新書でご自身の詩を引用しておらず、私には茨木さんの「はじめに」が見事な詩になっているように感じられたという印象をもったことがあります。
さて、三好達治氏の「前書き」にはこうあります。
「ただ一つ私が以前からその折々に読みつづけてきたさまざまな作品の、その折々に感動あるいは感興を私に覚えしめた跡をたどりたどり、もう一度私の過去をふりかえってみるようなつもりで稿を進めました。誰かもいったように、詩を読み詩を愛する者は既に彼が詩人だからであります。・・・」
詩人が書くところの「前書き」。
言葉は、見えない読者へとやさしいアプローチをしております。
まるで、私には、詩に対する閉ざした心を、慎重にときほぐす、情理をかねそなえた呪文を読んでいるような気分になりました。こうもあります。
「詩は一本立ちの孤独な心で読むべきものです。私の解釈解説に多少おしつけがましいふしがまじっているとしても、それは要するに諸君の取捨にまかせるために、あるいは諸君の別箇の考えを喚(よ)び起すために、そこに置かれているのにすぎないことは、もう断るまでもありますまい。・・・」
そして、4ページほどの「前書き」は、こう締めくくられるのでした。
「さて、こういった後でいうのも何ですが、詩を理解することは、さまざまの詩をさまざまに読みとり受け容れることからまず始める必要のあることもまた事実でしょう。殊に初心の読者にはそれが必要でしょう。心を柔軟に精神を平らかにして、さまざまは詩人のさまざまな作品に虚心に従ってゆくことは何という楽しい遍歴でしょう。それが私の流儀です。私はこの流儀に諸君を限ろうとはしませんが、私はこの流儀をまず諸君に勧める者ではあります。」

私は最後にある「数人の詩人について」から、パラパラと読み始めたのでした。
丸山薫・竹中郁・田中冬二・津村信夫・立原道造・中原中也・伊東静雄・萩原朔太郎・室生犀星・堀口大学というメンバーの詩が語られているのでした。
ちょうど、私は伊東静雄に興味があったので、
伊東静雄のところでは、どの詩が引用されているのかと興味をもちました。
まず「訪問者」という詩が引用されておりました。
そこから、すこし孫引きしておきます。

   ・・・
   その少女は十九だと答へたつけ
   はじめてひとに見せるのだといふ作詩を差出す・・・
   ・・・

   いま私は畳にうづくまり
   客がおいていつたノート・ブックをあける
   鉛筆書きの沢山の詩
   ・・・・

   出されたまま触れられなかつたお茶に
   もう小さい蛾が浮かんでゐる
   生涯を詩に捧げたいと
   少女は言つたつけ
   この世での仕事の意味もまだ知らずに


うん。三好達治氏はちゃんと詩の全文を引用しておりました。
うん。私みたいに端折っての引用じゃ、詩の姿がつかめないなあ。
でも。とりあえず、不確かな引用でご勘弁ください。
つぎ。興味を持ちましたなら、ご自身でご確認をお願いします。
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月が。

2008-03-01 | Weblog
夜に本を読もうとするのですが、すぐに眠くなる。
コタツにはいる。ごろりと横になる。そのままに朝まで寝てしまう。
というのを今年は繰り返しているなあ。コタツで寝ているので、
朝早く目が覚めるわけです。体に熱がタマっている感じです。
そして5時ごろ新聞配達のバイクの音がする。
ポストに新聞を取りに出ると、空には月が。
ちょうどポストは、南西の方向にあります。
月をみながら深呼吸。
台所兼居間兼パソコン室から望めるのは東南なので、
6時ごろからだんだんと朝日がさしてくる。
月と日と。そういえば、万葉集。

 東の野にかぎろひの立つ見えて、かへり見すれば 月かたぶきぬ

月と日とが逆ならば

    菜の花や月は東に日は西に  蕪村


それにしても、上田篤著「庭と日本人」(新潮新書)の第一章
「ストーンサークル  太陽をのぞむ」がのっけから、鮮やかな印象を持ってはじまっているのでした。もう一度、この新書をはじめから読み直さなくっちゃ。

 
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