後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

読売新聞をとっている方々へ・・・緒方貞子さんの記事を、是非、、、

2010年07月16日 | インポート

私が尊敬している緒方貞子さんの談話を読売新聞、社会部の浜名恵子さんが一文に纏めています。今日の夕刊の3ページ目に、「民族の溝を渡る道」と題する文章は感銘深い記事になっています。読売新聞をとっている方々は是非お読み頂きたいと思います。

旧ユ-ゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナで、1995年かた3年半続いた民族紛争は、20万人の死者と、200万人以上の難民を生じたのです。その直後に、国連難民高等弁務官として、現地入りした、緒方貞子さんの感想は、我々人類へ対して、深く考えべき問を発しています。

民族とは一体何でしょう?何故、殺し合う必要があるのでしょう?その殺戮の後のお互いの心の傷は何十年かかればいやされるのでしょうか?

北朝鮮とと韓国。北ベトナムと南ベトナム。そしてアイヌ民族と和人。琉球民族と日本人。私達日本人は簡単に忘れない方が良いと、暗に教えてくれているような記事です。暗に教えているからこそ深い記事になっているのです。

緒方貞子さんこそ偉大な日本人です。歴代の総理大臣が、何故、「国民栄誉賞」を彼女へ授与しないのか残念でたまりません。皆様のご意見をお聞きしたいとおもいます。


欧米流の趣味と、貴方の欧米化の程度の簡単な判定方法

2010年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

日本には昔から和歌、俳句、などを趣味とする人々もが居ました。また囲碁、将棋、盆栽作り、釣り、などもありました。それに茶道や華道もあり、趣味生活は、日本の文化を支える重要なものでした。

その上、明治維新とともに、2300人ものお雇い外国人が日本に来ました。そしてその他に数多くの宣教師も来ました。

彼等が欧米流の趣味も持ち込んで来たのも自然の成り行きと思います。

仕事を止めて引退すると時間に余裕が出来、趣味に打ち込むようになります。このようにブログへ駄文を書くのも私の趣味の一つです。そこで趣味とは何であるか?とか趣味は何故重要か?趣味は本当に人生を豊かにしているか?などと、次から次へと疑問が湧いてきます。

最近、上高地の梓川のほとりで英国人の牧師のウオルター・ウエストンさんが日本へ登山というスポーツの趣味を伝えたという碑文を見ました。私たちがごく当たり前のように、「登山が私の趣味です」などと気軽に言いますが、その趣味は明治28年までは日本に存在していなかったのです。それまでの登山は趣味ではなく、山岳宗教の修業でした。

そこで目から鱗が落ちました。多種多様な趣味は欧米流の趣味と東洋流の趣味に大別される事実に気がついたのです。碑文とウエストンさんの胸像の写真を撮って来ましたが、写真がブログのプロバイダーの故障で消えてしまいました。代わりに大正池から見た穂高連峰の写真をしめします。

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欧米流の趣味は野球、サッカーやヨットに代表される各種のスポーツからヨーロッパ音楽、西洋絵画の趣味、外国文学を読む趣味、はてはワインやウイスキーを研究する趣味やフレンチやイタリアンの料理を作る趣味など実に多種多様です。

一方、東洋趣味には中国の書道、唐の文学趣味、インドの哲学を研究する趣味から日本の万葉集や源氏物語を愛読する趣味など多彩にあります。勿論、南画、水墨画や浮世絵趣味などもあります。

そこで、面白い事に気がつきました。私は今まで「日本人らしい日本人」と「欧米人のような日本人」と2つに分類して人々と付き合って来ました。

付き合う人々の分類結果と、趣味の関係を見てみると日本人的な人は日本的な趣味や東洋の趣味を持っているのです。欧米人のような日本人は欧米流の趣味を持っていることが多いのです。

貴方の欧米化の程度の判定は趣味を見れば簡単に判定できます。趣味がない人は日本人的な人です。ご心配には及びません。

ついでにもう少し書きます。「欧米人のような日本人」は「利己的で尊敬出来ない欧米人のような日本人」と「博愛精神に富んだ立派な欧米人のような日本人」の2種類に分類出来ます。私はつい前者になり勝ちですが、後者になるように努力しています。それを助けてくるれるのがキリスト教の信仰です。

若い頃は、欧米人が偉くて、東洋人が劣っていると思っていました。ところがそれはとんでもない間違いだったと気がついたのです。24歳でアメリカへ留学した時に気がつきました。

欧米化した日本人が本物の日本人より偉いなどどいう事は絶対にありません。その逆も間違っています。人間は皆が等しく貴重な存在なのです。

その上で、暑い夏の日の午後の暇つぶしに、貴方や奥様の欧米化の程度を判定して見ませんか?何かしら思い当たることがあって面白いと思います。

詰らないことを書いてしまい恐縮です。これ以上の暇つぶしは止めます。(終わり)


ヨットは孤独な趣味、その楽しみ方

2010年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

貴方は社交的なご性格でしょうか?他人と上手に人間関係を作れますか?私はダメです。我儘で自己中心的な性格です。他人に好かれないという恐怖がいつも付き纏って来た人生です。それを忘れるために孤独に憧れます。独り遊びを楽しむのです。でもそれは決して人間として立派な生き方ではないことは知っています。

独り遊びに適した趣味としてヨットを25年間続けています。長さが26フィート(8m弱)のクルーザーなら、独りでセイルを上げて、帆走できます。兎に角、エンジンの音のしない静かな水の上で、空と波だでを眺めて無為に時を過ごすのが趣味です。至福の時です。風が好都合に吹いてくれればもっと幸せです。そんな気持ちで回りを見ると、独りで帆走している人々が意外に多いのに気が付きます。特に湖は一人で帆走も危険でないせいか、独りでヨットを楽しんでいる人が多いのです。

032 この写真は時々、霞ヶ浦で出会うヨットです。いつも独りで帆走しています。長さが10m以上の大きなヨットです。すれ違うとき手を振ると、ゆっくりと手を振ってくれます。

孤高という言葉がありますが、すれ違うたびに「孤高な風景だ」と感じ入ります。

彼も孤独が好きなのでしょう。いつも独りです。そのような人々に随分会いました。

写真を撮って、焼いて上げたりしましたが、あまり嬉しそうではありません。ひょっとして迷惑だったのかと思い、最近は写真も撮らなくなりました。

気のせいかヨットを趣味にしている人々は社交的な人が少ないようです。もっとはっきり言えば人間嫌いな人です。

それでもたまには数人で集まってキャビンの中やデッキの上で一緒にビールを飲み合います。それはそれで楽しいものです。あるいは3、4人でチームを作りレースに出ることもありました。レースとなるとスタートの駆け引きや、スピネーカーのトリミングなどをしなければいけません。兎に角、忙しくてやりきれません。レースこそヨットの醍醐味という人もいますが、私は違います。レースに出るのは30隻、40隻という美艇が一斉に走りまわる光景を見て楽しむために出ていました。見とれているうちにいつの間にかビリの方になります。

孤独や孤高に憧れるくせに孤独の寂しさに耐えられない時もあります。矛盾した人間なのです。いや、人間はみんな矛盾した生き方をしているのです。そんな事を考える為にヨットに独りで乗っています。

趣味は人それぞれでどんな趣味でも良いのです。あまり近所へ迷惑をかけたり、家族を不幸にさえしなければ良いのです。

皆様がご健康で、豊かな趣味の生活を楽しむ事をお祈りいたします。  藤山杜人


ドイツには国立墓地が無い・・・全ての戦争被害者を哀れむ国立追悼所が有るだけ

2010年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

国家とお墓の関係を見るとその国の心の深い部分が判るものです。第二次大戦後のドイツ人は国立墓地は作りませんでした。しかし戦争でドイツ人が殺戮した敵国の兵士や一般市民と大量に虐殺したユダヤ人、ジプシー、同性愛者、病弱者を哀れみ、一緒に悲しむ場所、追悼所を国家予算で作りました。東西ドイツが統一された後に作りました。

ドイツには国家が統一的に戦死者を祀る墓地が無い代わりに戦争被害者全てに同情し、哀れむ場所が有るだけです。

ドイツと組んで戦争をして敗れた日本には靖国神社や千鳥ケ淵戦没者追悼記念碑が存在しています。ドイツと日本の文化の相違です。日本人は太平洋戦争で殺戮した中国人や東南アジアの兵士や一般市民へ同情したり、哀れんだりする場所が無いのです。この事実をどのように考えるか?それは皆様の自由です。

日本とドイツの差異を考える前に、まず日本語の「追悼」の意味の定義をしておくのが大切です。この問題は愛知教育大学の南守夫教授が詳しく調べ、ブログに公表しています。

追悼には2つの意味があり、1)死んだ人を尊敬し、感謝し、平穏な眠りを祈る、2)死んだ人の悲しい運命へ同情し、一緒に悲しんであげる。1)の意味は顕彰に近い意味であり、2)の意味は哀悼の意味に近い。

靖国神社で戦死者を追悼する場合は1)の意味に近く、千鳥ケ淵での戦没者の追悼には2)の意味が強いのです。

東西ドイツが統一された後に東ドイツ地区のノイエ・ヴァッへという所に作ったのがドイツの国立追悼所です。下の写真がその建物です。

この建物の正式な名前は、「戦争と暴力支配の犠牲者のためのドイツ国立中央追悼所」です。墓地ではないのです。

そして建物入り口の右側にかけてある銅板の碑文には以下のように彫ってあるという。 長くなるが、これを読むとこの国立追悼所の設置目的が明解に分かる。この目的ならドイツ国民は自分たちの納めた税金を使うことに同意したのです。

碑文:「戦争と暴力支配の犠牲者に」
DEN OPFERN VON KRIEG UND GEWALTHERRSCHAFT 


追悼文(全文): 

ノイエ・ヴァッヘは 
戦争と暴力支配の
犠牲者を追悼し
記念する場所である。 

我々は追悼する、 
戦争によって苦しんだ諸国民を。 
迫害され、命を失った 
その市民たちを。 
世界戦争の戦没兵士たちを。 
戦争と戦争の結果によって 
故郷において、また捕虜となって、 
そして追放の際に命を落とした 
罪なき人々を。 

我々は追悼する、 
幾百万の殺害されたユダヤ人たちを。 
殺害されたシンティとロマの人々を。 
血統や同性愛の故に 
あるいは病気や身体の弱さの故に 
殺されたすべての人々を。 
我々は追悼する、 
生きる権利を否定されて 
殺害されたすべての人々を。 

我々は追悼する、 
宗教的或いは政治的な信念のために 
死ななければならなかった人間達を。 
暴力支配の犠牲となり 
罪なく死を 
迎えなければならなかった人々を。 

我々は追悼する、 
暴力支配に対して抵抗し 
その命を犠牲にした 
女たちや男たちを。 
我々は称える、 
良心を曲げるよりはむしろ 
死を受け入れたすべての人々を。 

我々は追悼する、 
一九四五年の後に 
全体主義的独裁に反抗し 
迫害され、そして殺害された 
女たちや男たちを。

上の文章へ解説や批評は不要です。出典は南守夫教授のHPからです。

愛知教育大学の南守夫教授はドイツのナチ被害者や戦争記念碑や記念館を克明に調べ上げ詳細をネット上で発表しています。(終わり)

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